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2016年11月14日月曜日

1105:【ボクらの音楽】人生に不可欠なもの、それは音楽!の巻〜ただ単にWalkmanが壊れたってだけの話〜

毎度どうも、さいたまの孤高のサラリーマンこと、ひろ☆さの(@Hirosano)です。

なんだかこのブログも月一連載の様相を呈してきておりますが、10/17以来という約1ヶ月ぶりの登場となっております。ご無沙汰致しております。

本日は埼玉県民の日を記念致しまして、久々にブログの更新でもぶっこいてやろうってな感じでお送りする気になった次第でございます。

そんなサボり気味な己の所業を省みちしまうと、またまた本題からかけ離れた遠い彼方へと話題がワープしちゃいそうなので、今日も今日とて書きたいことを書きたいだけ書かせていただこうかと思う次第だったりします。

っつーことで、とっとと掲題の話に参りましょうか。


ボクがこよなくWalkmanを愛する理由(既報)

ここ『真☆煩悩の赴くままに』を以前からご覧いただいている読者諸氏ならすでにご承知のとおり、ボクが使っているポータブル音楽再生機器はiPhoneやらiPodではありませんし、ましてやiPad miniやら iPad Proなどのタブレット端末であろうはずもありません。デカいしね。

日本に生まれ育った多くの昭和生まれ世代(要するにおっさん)がそうであるように、ボクもまた小中学生時代の幼き日からカセットテープやらCDやらMDなんぞを十把ひとからげ一貫して、日本を代表するAV機器メーカーであるSONYWalkmanシリーズを使用し続けております。

かつて栄華を極めたポータブル音楽再生機器界の雄であるWalkmanってのはですね、AppleiPod誕生以前は「通勤通学のお供として使うのは猫も杓子も誰もがWalkman」と相場が決まっておったのが哀しいかな事実なんですね。思いっきり過去の話なんすけど。特にミーハーなボクは二番煎じ三番煎じの他社製品には見向きもせず、生まれてこの方、ポータブル音楽再生機器と言ったらずーっとSONYWalkman、コイツと共に音楽道を歩んで参りました。ただ、他の人たちと違って少し珍しいのは、ボクの場合はこれが今も現在進行形で30年以上も続いているというだけの話。

まぁ今更ながらに考えてみると、カセットテープやらCDやらMDなんぞを再生するのに別にSONYWalkmanにこだわる必要などなかったのですが......だってその頃はほら、一種のステータスとでも言うんですかね、Walkman以外だどダサいっつーんすか、性能とか値段とかそんなもんは抜きにして、Walkmanじゃないとショボく感じてしまう多感で見栄っぱりで田舎者根性丸出しの青少年がそこにいたんですわ。東京生まれだけど。

その後、そんな見栄などにはとんと無縁になり、以前よりも打算と妥協と諦念を覚えた大人としてのボクになるワケですけど、その時はそん時でWalkman以外に手を出せないとある理由ってのが既に出来上がってしまったりもしてましてね。

これもかつて語ったことがあると思うんですけど、ネットワーク対応と唄うWalkmanに手を出してしまったのが運の尽きだったという話でしたね。覚えていらっしゃるでしょうか?

CDなどからPCに取り込んだ音楽ファイルをWalkmanに転送するような視聴スタイルとなったネットワーク対応Walkmanを使い始めた際に、使える音楽ファイル形式が今や化石と言っても過言ではないATRAC3くらいしかなかったという事情が、ボクのその後の音楽ライフをかなり限定的な方向へと導いてくれたのです。今や当たり前となったAACなどの音楽ファイル形式などがまだまだ出る以前の話(少なくとも初期のネットワークWalkmanは未対応)でハイレゾなんて言葉がなかった旧世紀、今から20年近く前にその音楽ファイル形式を選択してしまったがために、今ではATRAC3ファイルを1万曲以上も溜め込むというニッチもサッチも行かない状態に陥っていると.......まぁ、そういうことです、はい。

こうなると、他の音楽再生機器に乗り換えるなどという浮気な行為は当然ながら憚られまして、いつSONYATRAC3に三下り半を突きつけるのか、ビクビクしながら生きるボクが出来上がってしまうってな寸法になっております。

っつっても、古めかしい音楽ファイル形式でもそれなりにメリットがあるから使い続けているって話でもあるワケでして、このATRAC3という音楽ファイル形式は圧縮率が高い割には音質の劣化が少ないという特徴を持っている(ような気がするのは個人的な感想です)ので、母艦のPCに保管するにしてもWalkmanに転送して使うにしても、非常に使い勝手が良いのです。

なので、20年近くの歳月をかけて溜めに溜め込んできた約1万曲、容量にして30GB超の音楽ファイルたちと生活を共にしているという話になるのです。

あ、ちなみに、たかが通勤通学途上の電車内で音楽を聴く程度の話ですから、専用オーディオルームでクラシック音楽を大音量で聴き入るみたいな話とは全然次元が違うってことだけはご理解下さい。そこそこの音質で一度にたくさんの曲数を通信なしに持ち歩けるというのがこの話のキモになりますので、そこんところ誤解なきよう。


そして、今まで使っていた愛用のWalkmanが壊れた話

んで、そんなWalkmanをこよなく愛するボクが最近まで使っていたのが、こちらの機種になります。

今から4年前の2012年10月に発売されたこのNW-F800シリーズのストレージ64GBの機種を使っておりました。いわゆるAndroid搭載Walkmanってヤツでして、単独では通信できないものの、自宅のWi-Fiなモバイル無線LANルーターを使えばTwitterとかFacebookとかやりながら音楽を聴いたりできちゃうんじゃないかとか、あわよくば音楽聴きながらこれ1台でブログの原稿も書けちゃうんじゃなないかなんて妄想すら繰り広げられちゃうような期待を込めてその年の12月にボーナスの小遣いはたいて購入した品なんですけど、そんな淡い期待は脆くも崩れ去ったことがまるで昨日のことのように思い出されましたわ。

端的に申し上げますと、CPUがショボいんだかメモリーが足りないんだかで、Android端末としては全く使い物にならなかったんですね。もう動作がおっそいおっそい。どこかの政党が繰り出した牛歩戦術みたいなものスゴくおっそーい動作が日常茶飯事の情報端末なんて使う気にもなれないっつーか、音楽を再生するので精一杯なんす。なので、Androidを搭載していようがストレージ容量が余りまくっていようが、コイツは単なる音楽再生専用機器として使い続けるしかありませんでした。

でもまぁ、その頃はとっくにiPhoneを日常的に使いまくっておりましたから、音楽とその他アプリの同時併用なんてのはついでの話だったので、マトモにATRAC3形式の音楽ファイルを再生してくれさえすりゃあイイかっつーことで、ボクはそれで十二分に満足しておりました。付属のカナル型イヤフォンでもそれなりの音質が担保されてましたし、壊れやすいという神話を持つSONY製品としては4年間も故障もなく使えてなんてまさに奇跡ってなもんでして。後から購入したポータブルスピーカーと接続して音楽を聴いたり、自家用車に搭載されてるカーナビと接続してドライブ時に好きな音楽を聴きまくったり、その後に色々試したカナル型ヘッドフォンでより良い音を追い求めたりと、様々な場面にてボクの音楽生活を支え、ブログのネタにもなった愛おしいヤツなんです。

それがある日、このボーナス前の小遣いがカツカツの時期に突如として使えなくなるなんて誰が想像できますか?

それは、新しいWalkman NW-A30シリーズの発売を週末に控えた10/24(月)のことでした。

日高屋で夕食(ニラレバ定食with餃子)を食べ終えて、この後はベローチェでコーヒーでも飲みながら心ゆくまで読書(マンガ)に勤しもうとしていたその時でした。

そこまでの帰りの電車内では普通に使えていたボクのNW-F807/Bは、ベローチェの席に着いたその時にはすべてのボタン操作を受け付けなくなっていたのです。

もうね、電源ボタンを押してスリープから復帰させようと思ってもダンマリだし、ボリュームボタンを操作してもウンともスンとも言わねーんすよ、コイツ。

「あれ?電池が切れたのかな?」と思ったので、カバンの中からモバイルバッテリー

と専用接続コードを取り出して繋いでみたところ、一応スリープ状態から復帰してタッチパネル方式の液晶画面がついたものの、ハード的なボタン類はその後も何の反応もなしになるという最悪の状態に陥っちまいました。電池の残りは十分にあったので、「あ、これはハード的な故障だな」と、即座に理解しました。

その後、自宅に戻って電池がなくなるまでしばらく放置して更に満充電状態にした際に、何がキッカケかわからないのですが、何故かボタン類の操作が効くようになるという奇跡が待っておりました。一時的に復活を遂げたNW-F807を再び週明けの10/31(月)から使い始めたものの、満足に使える状態は数日しか保たず、11/4(金)の朝に再び使用不可能な状態になってしまいます。まさに「風前の灯火」ってヤツだったんでしょうか。

奇跡の復活を遂げるまでの数日間、仕方なしに音楽なしの生活を過ごすハメになってしまったのですが、やはり通勤のお供としての音楽はボク自身の生活には不可欠なものだと改めて再認識しました。通勤電車の中でブログを書こうが電子書籍を読もうが、バックグラウンドミュージックがボクには欠かせませんし、何もすることがない時などはむしろ音楽に没頭することで、スキマ時間を補っていたのだという当たり前の事実に改めて気付いたのです。

おそらく完治するのは難しいであろう故障だということは朧げながら解っておりましたし、修理に出しても次にいつボクの元へ帰って来るのかわかりません。最近は内臓充電池も1日も保たないくらいヘタってきておりましたしねぇ。

......ってことは、ここいらで一つ次なる一手を打つべきと自ら判断したように思っていたボクは、知らず識らずのうちにその日に即決せざるを得ない立場に追い込まれていたということになるのです。

(つづく)

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