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2015年6月24日水曜日

946:【戯れ言】「弱さ」って何だ?の巻

「人は生まれながらにして弱い生き物なのです。」

誰が言ったか知らないが、その通りだ。生物学的にどうだかは知らないが、確かにそう思う。

そう、人はあまりにも弱く、脆く、儚い。

肉体的な強さだとか弱さだとか、そういう類の話ではない。泣き虫だとかそうじゃないとか、そういうこととも違う。

ここで言いたいのは、「自分はどう思うか」という内面的な心の有り様を、即座に行動に結びつけることができるかどうか、ということ。

心の内に秘めるだけで途中で諦めたり、後々その行動を後悔したりしてないか?っていう、そんな感じの話だ。

当然ながら、心と身体=精神と肉体が連動して動くことが「強い」こととは限らない。

それが通る話なら、それはただ単に反射神経の出来不出来の問題になってしまう。

何の見通しもなくただひたすら能動的に動くことが最良とは限らないのだが、少なくとも他人に媚びへつらうことなく自分が思った通りに行動できるというのは、ある意味とても立派なことだと思う。もちろんケースバイケースではあるが。

その逆で、自分の思いとはうらはらに、周囲の同調圧力に流されてしまい、自らが理想とする「あるべき姿」を実現できず、結局は媚びへつらうだけの自分に後悔し悶々と悩み嘆くこと。それを人の「弱さ」と呼ばずして、何と表現すればいいのだろう。

今回はそんな己の「弱さ」について、思うところをツラツラと書き綴ってみたいと思う。

何が言いたいのか、非常に解りづらいと思う。

抽象的な表現を多用することになると思うが、最後までお付き合いいただけると幸甚である。


最近読んだこの小説に出て来る登場人物の一人がこんなような事を言っていた。

人に「あなたの好きなようにして下さい」と言うと、まずは周りの人たちがどのようにしているのかを一番最初に気にするもんなんです。

ちゃんと本を開いてその一節を一言一句間違わずにコピべしたワケではないのでこの通りのセリフではないと思うが、まぁニュアンス的にはこんな感じだったんじゃないかと。

大人ぶっているとは言え、とても中学生のセリフとは思えないのだが、読んでいて妙に納得してしまい「それはあるかも知れない」と思った。それが人の「弱さ」だと思った。

これが人間行動学的に正しいのか正しくないのかはとりあえず置いておくとして、自分の胸に手を当てて己のこれまでの行動を振り返ってみると、心がチクチクっと痛くなったりしないだろうか。

普段から周囲に流されるとか惰性で生きるとか、決してそんな事はないようにしたいという思いはある。が、時としてなあなあになりがちであったり、本来的には同意しかねるのだが雰囲気的にそれを否定することが許されない場面に出くわすことはないだろうか?

そんな時に、あなたはキチンと自分を保てる自信があるだろうか?

そんな時に、僕はちゃんと胸を張って、自分の思うところを意見しているだろうか?


人にはそれぞれ己の考えという我があり、それを押したり引いたりしてみせながら、他人との間合いを図りつつ、交渉めいたことを繰り返している。

それが社会に身を置く者に課せられた役割なのかどうなのかは定かではないが、自分以外の他人と没交渉的な生き方を選択さえしなければ、この世の中で生きるからには自ずとそんな役回りを演じて見せなければならないはずだ。

そこで常に自分の意見を押し付けることが「強さ」というわけではない。他人の意見を次から次へと取り入れることが「弱さ」というわけでもない。

立派な考えや意見というのは、有無を言わさぬ圧倒的な完成度を伴う完璧さを持ち合わせているものだが、それが個人の発想から来る時もあれば、英知を結集して出来上がったものである場合もある。

皆が同じ方向を向き一つの目標に向かって突き進む行動に出るのだが、独りのカリスマ的なオピニオンリーダーが先導する場合もあれば、スクラムを組んでモールを押し込むように突き進む場合もある。

そこで見せる人の「弱さ」とは、周囲に同調するだけで己を持たず、ときに自分を偽り、良からぬ方向へと舵を切り始めた船から降りようともせず、ただそこに存在するだけの石へと成り下がった行為を指すのではないだろうか。

ひとりだけリタイアすることが最良の判断だとは言い難いが、そうして魅せることで他への示しとなる場合もあるだろう。「すまんが俺はここで船を降りる」と言い出すだけでも、何もしないよりはまだマシなのかも知れない。

そちらに行ってはいけないと判りながら、ただヘラヘラと笑い、ことの成り行きを見守るだけ......それは罪だ。自分がかわいいだけの「弱い人間」そのものだ。

「弱さ」とは、ひとり孤立する事を極端に嫌い、自分の想いを最後まで貫き通す事のできない中途半端な輩のことだ。

「弱さ」とは、周りの空気を過剰に感じ、それを読み取り場を取り繕うだけで、真に必要な事からは目を背けてしまうことだ。

「弱さ」とは、周囲に合わせ、保護色を纏い、目立たず、ただそこに存在するだけの臆病者のことだ。

常に強くあればいい、ということでもない。

ただ、「弱い」のはダメだ。最悪だ。

いくつになってもこの「弱さ」を理解し、それをちゃんと克服できていないような気がする。

易きに流されてしまう幼く愚かな「弱い自分」がいるような気がしてならない。

だから、自分で書いたこのことを、きちんと肝に銘じておこうと思う。

(おわり)

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