たとえそれまでは枯れ果てていたと半ば諦めていたしても、突如湧き出る泉であるが如く、ある日突然向こうからやってきて半ば強制的に行動を規定してしまったりするから不思議だ。
まるでそれが以前からそうなることが定められていた既定路線であるかのように......である。
30歳を過ぎた頃から肉を食べる機会がめっきり減った。20代は相当の肉食派だったのに、である。若い時分は毎週のように焼肉屋に入り浸っては貪るように喰らいついていた肉、肉、肉。
今から考えるとその暴食思考は「若さ故の過ち」もしくは「坊やだったから」なのか。そんな肉食系だった若かりし頃に比べると、思想信条も主義主張もこれっぽっちも変わっちゃいないのに、ある日を境に魚介類や野菜を好んで食べるようになり、寧ろ肉類とは年に数回しか顔を合わせることのない遠い親戚同士のような疎遠な関係になってしまった。
40歳を過ぎたらもっと酷い状況になる。
それまでは受け付けていた肉汁や脂をほんの僅かな量しか摂取できなくなったのだ。特に高級な霜降りの肉を食べると途端に胸焼けがする。牛の脂が身体に合わなくなったのか?特殊なアレルギーなの?
焼肉でも1枚目は美味い。最高だ。だがそれ以降は箸が思うように進まなくなる。脂の多いカルビやハラミなどは以ての外で、たとえロースやヒレだとしても思うように量が食べられないのだ。
豚や鶏はまだ比較的普通に食べられる方だ。生姜焼きやフライドチキンは40代半ばになった今でも大好物だ。とあるブロガーに脂っこいと揶揄された東京一美味い「銀座天龍のジャンボ餃子」を毎週食べられたのだ。肉体的な衰えだとは思いたくないという哀しい願望も交えつつ「でも何故ゆえに牛肉はダメなのだろう?」という疑問は未だに解消できていない。
牛肉がダメだと言っても焼肉などがダメなのであって、すき焼きやしゃぶしゃぶがまだ大丈夫なのは、余計な脂が煮汁に溶け出して残った搾りカスのような肉を食しているからなのだろうか?
ファストフードのハンバーガーもまだまだイケるクチだ。特にジャンクで安っぽいあの肉汁の微塵も感じられないパサパサなパティーがとっても身体に悪そうで堪らない.......そう思っている時点で、やはり滴る肉汁や脂を自然と遠ざけている己の嗜好に愕然とさせられる。
嫌いになったワケじゃない。ただただ不思議なのだよ。自分では「まだまだ若いモンには敗けない」と自負してはいるのに、身体は自然とそれを否定し始めているのだ。己の思惑についてこれない肉体に対して、途端に「老い」を感じずにはいられない。
それも自然の成り行きなのか......。
健康診断でコレステロールがどうのこうのとか中性脂肪があーだこーだと産業医に言われ始めたのも30代後半からだったから、好きか嫌いかに関わらず身体が自然にそれを遠ざけるように出来ているのかもしれない。
そういえば、もうすぐ今年も健康診断があるんだった。確か今月末だったかな。
正月の飲み食いは付き合い上避けては通れないが、三ヶ日を過ぎたら例年通りの禁欲生活をスタートしている。仕事が立て込んで飲み会の回数が自然と減るのはこちらの都合に叶う良い状況だ。 だが、たとえ飲み会があったとしても、帰りにラーメンとか、そんなことは断じて許されない。
数年前にとあるハンバーガーチェーンが始めた期間限定バーガー連続発売にまんまと乗っかり散々な診断結果になったので、二度とその過ちを繰り返さぬよう毎年この時期は意図的にそうしている。ハンバーガー禁止、飲んだ後のラーメン禁止、炭水化物の大量摂取禁止、アレもダメ、コレもダメ、ダメ、ダメ、ダメ......。
そうなると、冒頭のセリフに戻るのだ。
ホントに「人の欲望というものは不思議である」のだ。アレだけ疎遠になっていたハズの肉を無性に食べたくなるのだから。
無意識のうちに「あぁ〜、肉喰いてぇなぁ〜」と独り言をつぶやいているからビックリもするのさ。
健康診断前のストイックな禁欲生活は、別に親やカミさんや上司に言われたから始めたワケじゃない。産業医から保健指導を受けてもいないし、他人に強制的に行動を縛られているワケでもない。自分で自分の行動に制限を設け、ただひたすらそれに従順に、大した文句も言わずにこれまでやってこれたのに......。
今さら何故、それに相反する態度を取るのか?
遅れてきた反抗期か?第三次性徴期なんてあるのか?
もうすぐ健康診断というこの大事な時期に、何故「禁断の扉」「パンドラの箱」を開けたくなるのだろう?
浦島太郎が玉手箱を開けてしまった気持ち、今ならすごくわかるような気がする......。
ついこの間、献血で400mlも血を抜いたのが良くなかったのかな?
そんなことを考えながら街を彷徨っていると、目の前にはまさにうってつけの、牛肉を焼いた熱々のステーキを安価に提供してくれる店があるではないか。
これぞまさに神の思し召し、疲弊している時には肉を喰らうに限るよな。
そこは最近流行りの、本格的なステーキを割りと安価に立ち喰いで食べることのできる店だった。
確か都内に何店舗かあると聞いていたんだが、まさか埼玉にも進出しているとは夢にも思わなんだ。
そんな今の己の願望にピッタリな格好の店がいきなり目の前に現れたもんだから、何かに誘われるようにフラフラと無意識に敷居を跨いでしまったのも致し方のないこと。
......誰に言い訳しているのか解らないが、ようは「いきなり目の前に現れたステーキハウス」に「いきなり何も考えずに入った」ということで、「いきなりステーキを食べた」という話。
そう、その店は確か「いきなりステーキ」という名前だった気がする。
さすがに夜の食事時なので店はたいそう混雑していた。
若い学生風の男性同士の二人組が多かった。中にはお一人様のおっさんもいる。流行っているからだろうか、女性二人という組み合わせの客もいた。
立ち喰いでステーキを喰らう店にしては、年齢層は比較的若め。スーツの上にコートを羽織った会社帰りのおっさんは少数派だ。そりゃそうか、時間的には安い居酒屋でクダ巻いている人数の方が多い平日の夜だからな。
立ったままステーキを食べるので長居はしづらいだろう。なので回転率は良さそうだ。フロアーにいる店員は女性3人だけ。安くステーキを食わせる店は、やはり人件費をキッチリ抑えてコストダウンを図っているんだな、なるほど。
ひとしきり状況分析をした後に入り口近くのレジにいる店員さんに1人で来た旨を告げた。混雑していても客離れがいいので、それほど待たされずにさっき空いたばかりの立ち喰いスペースに通された。
まずは、初めてなのでこの店のシステムを教えてもらうことにした。
サイドメニューはその場で注文する。白飯(200円)と......そうだな、野菜も摂らにゃならんからサラダ(250円)も注文しておくか。食べるのがメインなので、ドリンクはいらないか。お冷やで十分喉は潤せる。
で、肝心の肉だが、店内奥にある調理場前に「肉切り場」なる注文所があるので、テーブルの番号札を持ってそこまで足を運んで自ら注文せねばならないらしい。と言っても店はそれほど大きくもないし、通された立ち喰いスペースはその「肉切り場」のすぐ近くだから、実質的にはまったく問題ない。とっとと肉を吟味しに行こうではないか。
肉切り場のメニューに書いてあった肉の種類はそれほど多くはない。
- リブロース:5.5円/g
- サーロイン:7.0円/g
- ヒレ:8.0円/g
- 国産熟成サーロイン:10.0円/g
この中から好きな種類の肉を選び、食べるグラム数を調理場の中にいる切り分け担当のお兄さんに告げればいいだけ、というのがこの店のしきたりだ。
安いリブロースとサーロインは「300g以上からご注文を承ります」とメニューに書いてあり、高いヒレと国産熟成サーロインは200gでも注文できるみたいだ。
周りを見渡すと、若者ほど脂は多いが安いリブロースを選んでいるようだ。給料日前の財布の中身が心許ないタイミングではあったのだが、こちとら毎日汗水垂らして家族を養ってるいっぱしの大人だという自負というか余計なプライドみたいなものも手伝ってか、下から2番目のサーロインを300gで注文することにした。
というか、1番高いのが国産牛だとして、他の牛はどちらのご出身なんだろうか?
きっと値段的にはスーパーで売っているご家庭で楽しむステーキ肉に相当するランクであろうから、きっとオージーかタスマニアンなビーフなんだろう。あまり深くは考えても仕方がないので、早速注文してしまおう。
それにしても、調理場の中にいる切り分け担当のお兄さんは本当にこちらが頼んだグラム数ピッタシに肉を切り分けることができるのだろうか?
そんな心配が脳裏を掠めるのと同じくして、調理場の中にいる切り分け担当のオードリーのツッコミに似たお兄さんが「グラム数は多少前後しますがよろしいですか?」と、きっとマニュアルに書かれているであろう台詞を棒読みしてきやがった。
そりゃあ赦すも何も、拝見したところ貴方のようなオドオドした手つきの若者に、それほどの卓越した包丁さばきの技能はないであろうと最初からあまり多くは期待してはおりませんので、どうぞお好きなように切っておくんなまし......の意を込めて「はい、結構です」とだけ答えておいた。
案の定、見事に切り分けられたサーロインは「258g」という、何とも中途半端な大きさにしてだいぶ前後したグラム数の肉塊と化して目の前に登場することになる。
きっとこのバイトらしき若者は来週健康診断があることをよくご存知で、お客様の健康状態から生活スタイルなどを総合的に勘案した挙句、ワザと注文よりも少なめに肉を切り分けてくれたに違いない。いや、時期的に給料日前ってのは判るだろうから、そこに気を遣ってくれたのかも知れないな。
いや、そんなはずはないのだが、とりあえずこの場は起きた事象をスンナリと飲み込むために、この注文よりも少ない店のルールを完全に無視した肉塊はきっとお兄さんの善意の表れであると、そう思うことにした。
「こ、こちらで......よ、よろしいでしょうか?」と少し怯えた様子で話しかけてくる一本包丁満太郎は、明らかにキョドっている。決して薄らハゲでヒゲ面で愛のメモリーでも歌いだしそうなくらい日焼けで黒光りする肌のマフィアのような風貌に怖気づいたワケではない、と信じたい。
もちろん満面の笑みで問題ない旨を伝えたのは言うまでもない。だっていい大人なんだしな。ここでゴネて彼のなけなしのバイト代から無駄になったひと切れの肉の金額相当分を控除させるのも忍びないもの。
肉の種類と大きさが決まったら、次は焼き方だ。ここは無難に、おそらく日本で最も多く使われているであろう「ミディアムレア」という焼き方にしておいた。1番高い熟成肉なら迷わずウェルダンにするところだが、肉に飢えたこの状態なら多少は血が滴るような焼き方にした方が満足感に浸れるだろうとの想定の元で決めた結論だ。変に通ぶって墓穴を掘るのもなんだしな。
ひと通りの注文はこれで終わった。あとは持ち場の立ち喰いスペースに戻って焼き上がるのをひたすら待つのみだ。
先に出てきたサラダにオニオン系統のドレッシングをぶっかけてバリバリと野菜を食べる。いつの頃からか、食事は野菜類を先に食べる癖がついている。そうすると太りにくいという都市伝説を信じてやまないからだ。
サラダを食べる以外は手持ち無沙汰なので、先ほどの肉切り場の方を見て客層のリサーチの続きをしていると、おそらく40代の同世代だと思われる女性客が「普通のサーロインと国産熟成サーロインはどう違うのかしら?」という不躾な質問を、先ほどの肉切り担当のバイト君にぶつけているシーンに遭遇した。
そりゃあ値段的に高い方が美味いってのが筋だろう。相場はそう決まっている。そんな当たり前の話に何の疑問を挟む余地があるのか?......などとは一切口にせずにただひたすらレタスやキュウリを口に運ぶ作業に没頭していると、疑問を解消できたかどうか解らないその女性客が隣の空いている立ち喰いスペースにやって来た。その後を追いかけてくる女性定員の慌てぶりからすると、どうやら最初に通された立ち喰いスペースが気に入らなくてこちらに移ってきたらしい。
「君子危うきに近寄らず」と行きたいところだったが、リスクが手を振って向こうから近づいて来たのでは避けようがない。どうせここはお一人様でステーキを食す寂しい大人たちが集う場所なのだから「袖振り合うも多生の縁」などとは間違っても思ってはならない。「お近づきの印にまずは一献」とするのがいっぱしの大人なのかも知れないが、こちらも予算的な都合ってものがあり、目の前にあるのは食べ終えたサラダの器とお冷やのコップだけである。注ぎたくても酒が手元にはないのだから仕方がないじゃないか。
素知らぬフリをしつつ「早く焼き上がらないかなぁ〜。」と黙って待つこと数分。程なくして、258gのサーロインが鉄板をジュウジュウさせながら白飯と共に運ばれて来た。
テーブルに置いてあるホットステーキソースをぶっかけて、右手のナイフと左手のフォークを使い、あとはひたすら欲望を満たすだけだ。お隣さんに構っている暇などない。今はただ黙々と肉を切り分け、それを口に運び、白飯を同時に掻っ込むことで得られる至福に没頭したいのだ。
口の中に広がる肉汁と脂を味わいつつ「あぁやっぱり心も身体も肉を欲していたのだなぁ」と改めて実感している、そんな幕間でも休憩時間でもないまさにクライマックス上映中の真っ只中であるその時に、隣の女性は話しかけてくるものなのだ。
嫌な予感ほど的中するもので、やはり避けては通れなかったか。
「あら、そちらはサーロイン?国産のお肉かしら?」
いいえ、こちらはごく普通のサーロインでございますよ、マドモアゼル。なんせこちとらしがないサラリーマンをやらせてもらってる身分なもんで、そんな高級志向であるはずもこざいませんことよ、シルブプレ。
「私はよく解らないので国産牛にしたんですけど、何が違うのかしらねぇ?」
質問されましてもワタクシも客で素人なもんですからなんとも......。お〜い、そこの肉を切り分けているバイト君、こちらのお客様の疑問をなぜ解消して差し上げてないんだ。とっとと包丁を置いて今すぐこちらに来て説明してくれたまえ......と言いたくなるのをグッと我慢がまん。
「それにしても、やっぱりこういうお店は若い方が多いのね。主人と一緒に食事しに出掛けて来たんですけど、私は肉が食べたいのに主人はお寿司がいいなんて言うもんですから......別れて一人で来たんですの。」
そんな上目遣いで見つめないで下さいよ、奥様。お〜いご主人とやら、ここは埼玉でも新幹線も止まるターミナル駅に近い大都会なんだぞ。そんなところでこんな飢えた狼を放し飼いにしちゃダメじゃないかっ!
「私なんかもう歳が歳なもんで、そんなに量を食べられないから200gにしたんですけど、お兄さんは随分と大きなお肉にされたのねぇ。」
いや、だって、安い方のサーロインは300gからってお店の人に言われたんで仕方なく.....。
「若いって羨ましいわ。だってお兄さん、まだ20代でしょう?若いとお肉もたくさん食べられるのねぇ......。」
......は?
今、なんと仰いました?
この薄らハゲで日焼けしてシミだらけの肌したおっさんを捕まえて、20代ですと?
えっ?!そんなに若く見えるんですか?
ホントに?
へぇ〜、そうすかね?
もうヤダなぁ〜、お姉さんったらホント上手いんだから〜。
そんなこと言ったって何も出ませんよぉ〜、ははは。
あっそうだ!
お姉さんお姉さん、ちょっとこの安い方のサーロイン、一口お召し上がりになります?
そうしたらお肉の違いなんてお判りになるんじゃございませんこと?
そうそう、その半分は脂身でできている端っこの所で申し訳ないですけど、どうぞお召し上がり下さいな。
いやいやいやいや、どうぞどうぞ遠慮なんかなさらず。せっかくだからお一つどうぞ。
あ、それとワタクシ、来週にも45歳になる四捨五入すると立派なアラフィフのおっさんですから、そこのところはどうぞお間違いなく......。
いやぁ〜、たまには奮発してステーキ食べに行くのもイイもんですなぁ。←何が?
もちろん、この話は実話ですよ。多少脚色してはありますけど。
美味い肉も食べられたし、何より気分が良くなったし、いやぁ〜イイ店だ。客層が最高だよな。ははははは。
よし、健康診断終わって給料日が過ぎたら、今度は高い方の国産熟成サーロインでも食べに行きますかね。今回はブログのネタにするつもりもなかったから、写真も全然撮ってないし。
っつうか、隣からまくし立てられててそんな暇なんかなかったか。
そうかぁ〜、そんなに若く見えるのかぁ......。ウフフ♡
それにしても......目が悪いのかなぁ、あの人?
あ、ちなみにですが、お姉さんは同い年でした。
ってなことで、今回はここまでっ!
(おわり)
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