真☆煩悩の赴くままに: 932:いよいよ日本でも本格的な音楽ストリーミング配信サービスがはじまるらしいよ?!の巻
それがこちらのエントリー。
それは別の言葉で言うと「寂寥感」という表現が当てはまるのかも知れない。
新しい世の幕が開ける一方で、世を治め跳梁跋扈していたかつての勝者がひっそりと誰にも気付かれずに歴史の闇に消え去ろうとしている。
今回はそんな、かつて栄華を極めた者たちが去るその「あはれなる」姿に着目して、支離滅裂で懐古趣味的な散文をお届けしたいと思う。
かつて、ボクがまだ幼かった頃は、LPやドーナツ盤と呼ばれたEPといったいわゆるレコードが全盛だった。そういえばカラフルてペラペラなソノシートってのもあったっけか。
大振りで平たく黒い円盤の表裏に満遍なく細かく刻まれた溝から放たれる音の数々は、今から思うと決して音質的には優れたものではなかった。
レコードを収める紙で出来たジャケットは、それ自体が蒐集の対象とされていたりもした。中に入っている音楽に関係なく、ジャケットに書かれた絵や写真だけを観て購入に至るケース=ジャケ買いなども当たり前だった。
そのレコードがCDへと置き換わって、早くも30年以上が経過している。大きな黒い円盤が直径12cmほどのコンパクトなディスクに置き換わり、物理的な制約(置き場所)が大幅に改善された。電子的に収められる曲の音質的なクオリティも劇的に向上し、曲出しやリピートやランダム再生などが容易に可能となったことにより、視聴スタイルも変容することになる。
だが、そのCDすら買わなくなった人も最近は多いのではないだろうか。
CDから曲を目に見えぬ形式=音楽データファイルとしてリッピングし、様々な機器の記憶装置へと移行するようになったこともひとつの要因であるのだが、音楽そのものの販売形式が物理的な制約を受けなくなったことにより、ネットワークを介して取り引き可能となったインパクトの方が大きいように感じる。
インターネットを介して配信される音楽は、アルバムをフルに購入するのもお気に入りの曲単位で購入するのも自由。視聴者側にとってみればお得感満載なもんだから、そりゃあ流行るに決まってる。
なんせ面倒くさくないから。
今じゃPCを介さなくとも音楽データを直接音楽プレーヤーに落とすことができるってことは、それだけ手順や手間を省略してゴールへと到達できるということ。そりゃあ誰だって簡単な方を選ぶでしょう。ジャケットの画像データも付いてくるし、何なら歌詞データだって表示できる。何とも便利な話じゃないか。
でも、人の好みも十人十色で、未だにCDを購入しているボクのような奇特な輩も存在している。ボクにとっては外国から鳴り物入りで日本にやって来た大手CD販売チェーン店は貴重な存在。特に変わったジャンルの洋楽を好む変人にはそれはそれは貴重な存在だったのさ。輸入盤は価格も安価だったしね。
それに、如何ともしがたいのが買ったら捨てない蒐集癖という習性がこれまた厄介。お気に入りは当然ながら大事にとっておくとしても、どうしょうもない駄作も青春の1ページとして後生大事に陳列させちゃうもんだから、そりゃあカミさんも呆れてしまうに決まってる。
だから未だにリアルを売るリアルな店舗にもたまに立ち寄ってみたくなる。それが男の浪漫だと言うつもりはないが、やっぱり目で見て手に取るという所作を省略できない面倒くさい輩ってのがおっさんのおっさんたる所以なんだろうな。
そんなリアルな店舗も今じゃ鳴かず飛ばずなんじゃないだろうか。なんせCDが売れないから。オマケの握手券が付いてくるヤツならいざ知らず、いまどき誰が好き好んであの場所も取るし聴くのに手順がやたら必要となるモノを買うと言うんだ。そんなのは少数の変わり者だけで、そいつらを相手じゃ商売も成り立たないってなもんだろう。
これに取って代わったのは、これまた外国から鳴り物入りで日本にやって来た何でも売ってる大手ネット販売業者だったりするんだから、皮肉なもんだ。
インターネット上に開設された各国向けの販売店舗にはCDも電子ファイルも鎮座ましましていらっしゃる。何ならそのCDや音楽データファイルを聴くための音楽プレーヤーも同時にお買い求めいただけます。もちろん24時間365日いつでもお買い求めいただけるのでご安心ください。何ならあなたのお好みまで分析してオススメの一品なんてのもご提示させていただきやす。
あー、ホントに便利な時代になったもんだね
かつては新譜を予約したら発売日前日の夕方にレコード屋さんに取りに行くってことを繰り返していたはずなのに、今じゃ発売日前日の夜には自宅に新譜が届いてるんだから、なんて親切設計なんでしょう。毎晩仕事だの飲み会だので遅くなるボクにしてみれば、ありがたい話です。ホントに世の中便利になったもんだよ。
だから、街からレコード屋さんが消えた。かつては足繁く通った小規模な個人経営のレコード屋さん。あの人たちはいま何処で何をしているんだろうか?と、ふとときどき想いを馳せることがある。
街からは本屋も消えた。あるのは大手CD販売チェーンと同じくショッピングモールの中にある大型書店チェーンの店舗のみ。
物理的な店舗において物体を販売するという形が徐々にネットワーク上のそれへと移行された様は、音楽だけではなく書籍にも同様のことが言える。
いずれも黒船=ネット販売業者と凌ぎを削る攻防を繰り返している。
書籍もネット販売だけじゃなく、電子書籍という異なる形式へと徐々に変容しつつある。雑誌の販売部数も伸び悩むどころか減少傾向の一途らしいし、本屋さんだけじゃなく印刷会社も製紙会社もきっと大変な思いをしているんじゃないかと、他人のことながら心配になってくる。
映画だってアニメだってTV番組だってそうだ。みんなインターネットを介せば何でも手に入る。DVDやBlue-rayのようなチープなメディアに技術を費やすよりも、HDDやSSDやメモリーの大容量化や高速化に投資した方が未来が見える。
ゲームも超のつくほどの大作よりは、シンプルでお気軽手軽なカジュアルさがウケる世の中だ。飲まず食わずで寝る間を惜しんで数日間を費やしようやく迎えるエンディングなんて壮大なストーリーはもはや必要ないのかもしれない。シンプルであるが故に時間も労力も容量も喰わないから、物理的な形も必要ないってことなんだろうか。
複製だっていとも簡単にできちゃう。時間も労力もあまり必要ない。1つ作ればあとはコピーコピーコピー。在庫管理なんて必要もないし、売り切れ御免なんて話もない。欲しいと思った瞬間に脊髄反射的にポチッと押せばイイだけってのもよくできた仕組みだよな。そりゃ散財するハズだわ。
必要がなくなったら消去も簡単。分別する必要もなけりゃ資源として再生されることもない。後片付けのことも考えてくれているのかどうかは定かではないが、余計な手間が減る分だけ人々に歓迎されるのも理解しようも思えばできなくもない。
だが果たして、それらはホントに存在するものなのだろうか?
0と1の羅列であろうそれは、容量的には少ないとは言え確かに存在するはずなのだが、モニターを介さなければその存在を確認することができない。形あるものとしてボクの目の前にその姿を現わすことはない。
バーチャルか?仮想現実の世界なのか?
音楽データ配信元年や電子書籍元年がいつだったのか判らないが、今やボクらの身の回りには、これら目に見えぬが確実に存在する者たちが確実に増えつつある。
かつてこの世で栄華を放った形あるモノたちは、徐々にその存在を消しつつある。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
これは平家物語の序文にあたる一節であるが、今回語ってきたその様を如実に表しているように思える。
消えゆく物理的に存在したものたちへのレクイエムとしてはあまりにも的を射ており、余計に哀しさが増してくる。
彼らはやがて人々の記憶からも消去される運命なのだろうか?
音楽や書籍の次にその形ある姿を消すのは、いったい誰だ?
(おわり)
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