「飲み込みが早い人」は何が違うのか - 脱社畜ブログ
これ読んだ。
世の中には、大して努力もせずに器用に何でもこなしてしまう人や、ほんの少し説明しただけで大体のことを把握できてしまう人ってのがいる。
先ほどのブログでは「飲み込みが早い人」と表現していたが、他には「理解力の早い人」という表現で語るブログもあった。
理解力とは : メカAG
これも読んだ。
成績を上げたければ、教科書は読むな!要領のいい人の勉強術とは。
これも読んだ。
言いたいことは全てに共通している。
たいして大事ではない細かな事に囚われずに、フレームやパターンと表現される仕組みを理解することに注力する人というのが、「飲み込みが早い人」だったり「理解力が早い人」だったり「要領のいい人」ってことになる。
ここではそういう人のことを何て呼ぼうか考えていたのだが、最後に紹介したブログと被ってしまったが、初志貫徹して「要領が良い人」と呼ぶことにする。
「飲み込みが早い人」や「理解力が早い人」は能力値が常人よりも高く優れた印象を与える表現であるのに対し、「要領が良い人」ってのは若干だが言葉の印象が異なる感がある点は否めない。
どちらかと言えば、ズバ抜けて能力値は高いワケではないものの何でも卒なくこなしてしまう「ちょっとずる賢い」というイメージを与えてしまう懸念がある。が、ここでは敢えてそういう意味も含んで「要領が良い人」と表現することにした。
その理由もこの中で明らかにしていければと考えている。
既に先に紹介した複数のブログの中で散々語り尽くされていることであるが、敢えておさらいしたいと思う。
「要領が良い人」というのは、基本的な要素とそれを組み合わせるパターンを理解している場合が多い。
その筋の専門的な知識を人よりも多く保有しているというワケではないにも関わらず、何故かほとんどの事に関して、例え専門外であったとしても、ほんの少しの説明を受けただけなのに理解するスピードが早く、人からは「頭の回転が早い」とか言われている人が貴方の周囲にも存在するだろう。
その人はきっと、余計なものに囚われていないんだとボクは考えているのだが、別の表現をすると「常に物事を客観的・抽象的に捉える傾向にある」のではないかと考えられる。
己自身の感情に捉われて主観的な物の見方をすると、また別の見方をしている人の主張とは大きく食い違い、揉め事に発展してしまうケースもままある。
具体的に一つ一つを精査しつつ議論を展開するとなると、確実ではあるがなかなか先に進まず、いくら時間があっても足らなくなってしまう。
時には細かなディテールに拘る必要がある場面に出くわす可能性もあるかもしれないが、たいていの場合何かを決断するためにはスピードも必要で、その要求に応えようとするならば、無駄を削ぎ落とし、個別最適よりも全体最適を優先させる必要が出てくる。
そのような場合には、物事をぼんやりとして眺めながら全体を捉え、俯瞰した見方が出来る人に一日の長があると考える。
サッカーの選手に例えるならば、ゲームメーカーと呼ばれる選手は時にピッチを遥か上空から俯瞰して見る事ができ、ゲーム全体を支配すると言われている。そういう選手は(日本では特に)重宝されているだろう?あれと一緒だと考えればいいんじゃないかと。
そのような全体を把握し掌握する力を持つ人=物事を客観的・抽象的に捉えることが出来る人というのが「要領が良い人」なのではないだろうか?
というのは、実はこの本の受け売りだったりするのだが、
まぁ、気になる人は読んでみて下さい。面白いので。
ここまでは他のブログと同じことを繰り返しただけであるが、「要領が良い人」が備える能力には、他にも備えている能力に別の特徴がある。
先ほども「例え専門外であったとしても、ほんの少しの説明を受けただけなのに理解するスピードが早い」と表現したが、全体を客観的に捉えただけでは足りず、不足する部分を補うために想像力を働かせる事に長けている場合が多いように感じる。
当然ながら、突拍子もない非常識な結論に達しないためにも、日頃から周囲の人々が何を望むかを考えているからこそ、その想像した先が的外れなものにならないのだろう。そこには確実に「周囲を理解する」という努力が存在するんじゃないだろうか。
そして、そのような周囲の期待を胸に、僅かばかりの情報からその状況にあった解を導くためには、想像力を働かせる必要があるように思われるのだ。
更に、その想像力を補強するのが経験値だ。
いくつものパターンを把握しており、その組み合わせで解を導く方法というのは、単なる想像だけで達し得るものではない。過去の経験の積み重ねがあればこそ、それを活かして「今度は失敗しない方法」というものを構築出来るのではないだろうか。
過去に似たような類似の経験があるのであれば、今度も同じようなパターンになるのか、それとも状況なり戦力なりが多少異なるので部分的な見直しが必要になるのかが容易に想像することが可能で、抽象的に捉えた全体に一つ一つピースをはめていき、必勝パターンに持ち込むことも可能になるのだと思う。
「知識」と「経験」の違いを見事に表現したイラストが物語る、クリエイティブ思考の本質とは? : ライフハッカー[日本版]
ちょうどこんな話題もあったんで。ご参考まで。
少し的外れになるかもしれないが、経営者や政治家などに年寄りが多いのは、こういう経験値を活かす方法に長けた人が重宝される傾向にあるからなのではないだろうか。もちろんそれなりの実績を伴わないと駄目なのではあるが。
「要領の良さ」というのは、決して持って生まれた先天的な能力ではなく、努力した果てに獲得した己のウィークポイントを補うための能力なのではないかと考える。
些末なことに囚われずに全体を俯瞰して捉え、自分の過去の経験を活かしつつ導くべき結論への近道を想像することが出来たならば、今よりも少しだけ早く解決へと至ることが出来るような気がしている。
「天才の一瞬の閃き」を得ようとしても凡人の努力だけではどうにもならないのかも知れないが、そういう天才を上手く使いこなせるのは「要領が良い人」だったりするのではないか?
ボクは残念ながら先天的に天才的な能力を備えることはなく、また勉強というカテゴリーでは人並みにしか努力してこなかったので、ごく普通のその他大勢の1人として埋没してしまいそうになったのだが、恵まれたことに周囲に「デキる人」と呼ばれる人たちが存在して、その人たちを観察してみて、これまで述べたようなことを考えていた。
あの人たちは、個々に天才的な能力を持っていたワケではなく、周囲との協調性を大事にしたり、専門的知識を有する人の使い方が上手かったり、それらを纏める能力に長けていたと感じている。様々な人の意見を取り入れ、それらを咀嚼し、その場その時に最も的確な答えを出していた「要領が良い人」たちだったような気がしている。
それは決して1人ではなし得ないことではあるし、他人を利用するだけという見方もあるかも知れないが、その辺りの上手さも合わせて「要領が良い人」という表現になるのだと考えたのだ。
ここら辺りに狡猾さみたいなニュアンスが含まれていると、そういうことが言いたくてあえて「要領が良い人」と表現してみたというワケ。
なお、中には「要領だけはイイ人」ってのも存在したりするのだが、ここで述べているのは口先だけの軽薄なチャラチャラした輩ではないぞ!ということだけはご理解いただけたかと思う。
(おわり)
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