よく「普通はさぁ〜、◯◯ってこうだよねぇ〜」とか「普通はそんなことしないんじゃない?」とか言う奴がいる。
そりゃ、お前の中では当たり前の事なのかも知れないけれど、それってホントに世間一般的に普遍的な事だと思ってんの?
街頭アンケートでも取ったの?
独自に調査してみた結果とか?
あ、そうじゃないんだ。
なんだ、そいつぁ〜残念。
ということは、お前がこれまで生きてきた人生の中で得た知識やら培ってきた経験なりを総合的に勘案して導き出したお前自身が考えた意見ということ?
お前が今まで見聞きした話を踏まえて「これが『普通』です」と、胸を張って堂々と仰っているワケですか。
ちゃんと経済新聞も毎朝読んでるし、ビジネス系の週刊誌も自ら身銭を切って購入して熟読してると。
それだけじゃなくて、日頃からこっち方面の書籍を読み漁って、専門的な知識を養っていらっしゃると、そういうことですかな?
そうやって熟考に熟考を重ねてお出しいただいたご意見ですから、「普通に考えたら正解はこれ以外にあり得ない」と。
そう力強く主張してらっしゃると、そういうことでよろしいですか。
随分とこれまた自信満々ですな、ははははは。
それって「普通」か?
そんな他人本位で他力本願なお前の中の物差しで測った常識ってヤツは、万人が受け入れるほど平均的な意見なのか?ってな疑問が湧いてきちゃうんですけど。
それも、とめどなく溢れんばかりに。
「だいたい普通は...」って言うけど、そもそも「お前の考える『普通』」と「俺の考える『普通』」が同じだって思っていること自体がおかしくないか?
「スタート地点から間違っちゃいませんか?」ってことよ。
生まれも育ちも違う者同士が集まって、
「オラが村ではこういうのが普通だぁ。」
「いやいや、オラんとこではそったらこたぁしねぇだ!」
ってなりがちなのは解るだろう?
そりゃあ、そんなもんだぜ。
生まれた時代や育ってきた背景や環境が異なる者同士が集まる社会では、「これこれこういうことがいわゆる一つの『普通』ってものに該当します」って言っても、外野が黙っちゃいない世の中なんだよ。
「人の数ほど『普通』ってヤツが存在するって思っていた方がイイんじゃね?」って思わないか?
いや、それでも過半数以上が支持するものが「普通」と定義されるみたいな流れがあることくらい知ってるよ。
まぁ過半数じゃなくて定数の四分の三でも三分の二でもどっちでもイイんだけどな。
そうやって決まった「普通」ってのが世間様のいう「一般常識」って言うヤツで、それがそのお前の言う「普通」ってヤツとイコールっていうんだったら、それが「普通」ってのに該当するのかも知れないってのは理屈では解るな。
いや、俺に学がないのは否定しないよ。
だってその通りだもん。
新聞なんてくだらねぇもんは読まねぇし、ビジネス雑誌なんて最近全然読まなくなったし。
「何故?」って、そんなモンは俺にとって必要ないからさ。
どこどこで誰かが何をしましたなんて情報は昔はテレビを着けっぱなしで垂れ流してたかもしれないけど、今じゃそんな情報は何の役にも立ちゃしないって判っちゃったからなぁ。
多少の暇潰しにはなるかもしれないし、他愛もない会話のネタにはなるかもしれないけれど。
部長との会話も、いつも天気の話だけじゃ、それこそ間が持たないからな、うん。
そんな垂れ流される情報から必要な情報を取捨選択するってな七面倒臭い方法よりも、自ら必要な情報を取りに行くくらいの気概を持たなきゃ、この情報過多な時代は乗り切れないってなもんだぜ。
それに、いわゆるビジネス本ってヤツな。
自己啓発本でもイイんだけど、その類の書籍類全般に言えることは、どこにも普遍的な事なんて書いてないってことな。
「万人に通用する成功の秘訣」なんて宝物は、何処にも存在しないってことさ。
だってそうだろう。
いろんな周辺の状況とか己の持てる力や能力からしてその作者のそれとは違うんだから、同じことをしてもその通りになりますかってな話さ。
そんなの自然の摂理を考えりゃ判りそうなもんなんだけどな。
みんな騙されやすいのな。
まぁ、そうでもないと、あっち方面の商売も成り立ちませんってな話か。
......おう、そんな話じゃなかったな。
「普通」ってのが何なのかってな話だったか。
まぁとにかくだ、本件に関してお前の言う「普通」ってのがそれだってんなら、数値的な根拠を示すくらいの気持ちがあってもイイんじゃねぇか?
俺が全幅の信頼を寄せてないお前の物差しで測った「普通」が世間一般に認知されている「普通」ってのと同義と思っているんだったら、そりゃあ大きな間違いだ。
ま、同じことが「俺のいう『普通』」ってのにも言えるんだがね。
やっぱ難しいな、世の中ってのは。
んじゃ、そろそろ軽く飲みにでも行くか。
......えっ?!
今日は彼女とデートなの?
だったら、こんなところでくだらない議論してないで、とっととその可愛い彼女んところに行けや。
うん、後はこっちで何とかしとくから。
あぁ、その代わり今度、昼飯奢れよ。
うん、あそこのカレーでいいから。
あ、カレーっつっても、カツカレーな。
んなの当たり前だろぉ。「カレー」って言ったら「カツカレー」ってのが普通なん......あ、いや、何でもない。
いや、いいから早く帰れって。
あぁ、はいはい。
そんじゃ、お疲れぇ〜。
「普通」っていいことか?
確かに「普通である」ということは、そこはかとない安心感をもたらす作用があるようだ。
他の誰とも変わらない。突出しない。目立たない。注目される事もない。よって面倒臭くない。
無難であることはある意味、自身とその周囲が揃って納得するだけの安定感を伴って、目の前にただ忽然と存在するものだ。
「私の意見ですけど、AさんもBくんも同じ意見のようですし、特段おかしな意見というワケでもなく、いわば本件に関しては当たり前の対応を取ろうとしているワケでありまして。」
「いやいや、僕ってばそこら辺にいる有象無象と変わらぬ、取るに足らない一般ピーポーですから、当たり前の事を当たり前にこなすのがせいぜいでして。でも、それって普通はそうするんですよね?」
逆に「普通である」ことを強要し、脅迫材料として用いられるケースも考えられる。
皆と同じ。妙な平等な世界。突出する事をヨシとしない世の中。みんな仲良くお手手繋いで参りましょう的な。
「ちょっと、何してるんすか。そんな事しちゃ駄目でしょう。普通はそんな事やらないっすよ。」
「多くは望まないの。普通の高校に入って、普通の大学生活を送って、普通に働きに出て、普通に結婚して、普通の家庭を持ち、普通に暮らすのが一番なのよ。」
うん、まぁ、そういうのもアリっちゃアリなのかもな。
「独自性」とか「オリジナリティー」とか主張して、やたら目立とうとするのも、何だかイヤらしいし。
出る杭は打たれちゃうだろうから、ひょっとしたら普通じゃないってだけで損しちゃうかもしれないし。
なんか一人だけ熱くなっちゃって、口角から泡を吹き吹き、唾を飛ばしながら語るなんてのも、いまどきは流行らないし。
そんなの全然スマートじゃないですからねぇ〜。
......でも、それってなんかツマんねぇな。
だったら、俺は「普通」じゃなくってもイイや。
取り替えのきく、コストもそんなに掛からない、ちゃっちい大量生産された部品みたいなヤツは、分相応なそれなりのお給料貰って、その範疇で慎ましやかな生活をダラダラと繰り返して、静かに死んでいきゃあイイんじゃねえの。
(おわり)
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