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2014年10月20日月曜日

847:【戯れ言】コンピュータの進化の限界?それともボクの能力の限界?の巻

ワクワクしない。ワクワクしないのだ。

新しいiPhoneが発売されようが、新しいiOSが公開されようが全然ときめかないのだ。

先日のiPad Air 2やiPad mini Retina 3にしてもそうだし、iMacやMac miniにしても同様だ。

新製品情報を目の前にしても、ワクワクなんてこれっぽっちもないのだ。

なんなんだ、これは?

従前の期待値が高いだけに、公表された事実を目の前にすると、ワクワクするどころか落胆するしかないのだ。

この閉塞感は何なんだ?

ボクの期待に応えないAppleが悪いのか?

過度な期待を寄せてしまうボクが悪いのか?

テクノロジーの限界なのか?

ボクの妄想が過ぎるのか?

とある一方的な見方をすれば、ボクのような普通のユーザーですら考えつくことのできることでさえ実現出来ないAppleの堕落を憂うのが正しいのかも知れない。

ただもう一方では、それはあまりにも全体最適とは掛け離れた穿った見方=単なる我儘と言えるのかも知れない。

ボクのような我儘な要求をAppleに突き付けるのがよろしくないという考え方があることも理解している。

だが、現実にAppleが提示してくる提案には同意することは出来ないし、100歩譲って受け入れたとしても以前のようなトキメキはそこにはなく、現状維持がせいぜいだったり、これまでの慣れ親しんだ方法論を1から再構築せねばならないという面倒臭さが先に立つ。

いったい何がどうしたというのだろうか?


コンピュータ性能向上の限界?

確かに、今回のiPhone6・iPhone6plusには微塵も魅力を感じなかった。

「スペックだけが全てではない」と人は言うかも知れない。だが、所詮人なんて我儘な存在なのだから、一度得た満足感を永続的に維持し続けることなど出来やしないのだ。

舌の根も乾かぬうちに、やれモタつくだの、モッサリしやがるだの、口には出さずとも本当は心の奥底で不満が燻り始めていたりするんじゃなかろうか?

ボク個人にとってしてみれば、多少薄くなろうが軽くなろうが、そんな事は関係ないのだ。

CPU/MPUの性能は劇的に向上して欲しいし、メモリーはなるべく多く搭載して欲しいし、カメラの性能だって良くなるに越したことはないし、画面の描写力は上がったとしてもそれと引き換えにするほど画面の大型化は望んではいないのだ。筐体の大きさはそれほど大きくなくてもいいし、多少厚くなってもバッテリーのモチがいい方がイイに決まってるし、多少重くなっても腕力を鍛えればいいのだ。

先日のiPad Air/iPad miniにしてもそうだ。

まだ実物が出回っているワケではないためその真偽は定かではないが、スペック的には旧機種より劇的に進化しているとは言い難い、随分とこじんまりとした新製品になってしまったようだ。個人的にはiPhoneで冒した失敗を挽回するだけの期待を寄せていただけに、残念至極といったところだ。

落ち込んでいる最中に更に追い打ちを掛けられたようなもんで、二度と立ち上がれないかも知れない大ダメージを喰らったみたいな心境だ。

以前から言われていることだが、ことコンピュータに関してはムーアの法則が既に限界に達していると言われて久しい。これはCPUに代表される半導体に限定される法則であるが、それはもはやCPUにだけ当てはまるものではないと危機感を感じているのはボクだけだろうか?

ボクらが過去に経験してきたようなイノベーションやブレークスルーは、今後コンピュータの世界、特にハードウェアの世界ではそうそう起こりそうにない。そんな悲観的な考え方をこんなところで披露したとして、何も変えられないのは解っている。理不尽な独りよがりだと思う。

だが、ボクの目にする現実の世界では、実際に魅力的なコンピュータなどそうそう出てきそうにないのだ。その期待を我儘という一言で片付けた方が万事丸く収まるという意見が相応しくなりつつあるのだ。

もはや完成の域に達していると、そう考えた方が妙にシックリくるのだろう。

そうなると、今度はそれを使う側であるボクらがそのイノベーションやブレークスルーの担い手になるらしい。

ユーザーであるボクらがより革新的で斬新なコンピュータの利用法を思いつかない限り、あのトキメキを味わう機会か二度と訪れないのだと言う。

果たして、ボクは新しい何かを生み出すことが出来るのだろうか?


ボクの想像力の限界?

初めてiPhone3GSを手にしたあの頃、ボクの目の前にはまだ見ぬ世界が広がっていた。

遠く水平線の彼方まで見通すことなど出来ないほどの広い広い新世界。何を目にしても何をするにしても、それと共に押し寄せる新鮮さに感動し、それを自分の生活の中でどのように使いこなすか、応用するかに思考を巡らせることすらただただ楽しかった。

だが、それらが一旦「日常」という当たり前の事実として君臨し始めると、未だにそれはなくてはならない欠かせない存在ではあるものの、他人から強要されているかの如くつきまとう義務感にも似た負の感情が湧き出てくる気がするのだ。

今がベストだと、これが最終形態だとしても、別に諦めているワケではないのだが、より良い方法論を模索する労力すら厭わざるを得ないこの状況は、まさにボク自身の限界を物語っていやしないかと妙に不安になる。

iPhoneで出来ること、iPhoneで叶えられること、新しい使い方なり活用方法がボクの要求にマッチしないだけでなく、現状をより良くするための進化さえ停滞してしまうこの状況において、ボクがiPhoneに求めることが単なる我儘に思えて仕方ない。ボクと世界の方向性が少しずつズレてきているのかも知れない。

出来れば、iPhoneには片手だけで操作できる大きさのままでいて欲しかった。その大きさのままで性能が向上すれば良かったんだ。

iOS8でユーザビリティを向上させるその代償としてメモリー消費量が増えるのであれば、iPhoneに搭載するメモリー容量を増やして欲しかった。

Mac miniのマルチコア性能は旧機種に比べたら向上しなきゃならなかったんだ。

だってそうだろう?

劇的なブレークスルーがないのだとしたら、革新的なイノベーションが起こらないのだとしたら、現状を少しでもより良いものとしたいというささやかな願いだけは叶えたくなるというのが人の常ではないだろうか?

そんな現実を受け入れてなお閉塞感に苛まれるボクの想像力が限界に達したのだとすれば、その事実をも受け止めなければならないというのはかなり酷なことだ。

世の中はあまりにも辛辣で、現実ってのはいつも厳しいのだな。


......ってなくらいガッカリしてるのが、毎度どうも、さいたまの孤高のサラリーマンこと、ひろ☆さの(@Hirosano)です。

いやいや、参りました。もう降参です。何もイイことないですなぁ、最近。

そういや今晩、というか明日10月21日(火)の早朝にiOS8.1かリリースされるんでしたっけか?

あのバグやこの不具合が治ってるとイイなぁ。

メモリー消費量が少しでも減ってるとイイなぁ。

サードパーティー製のキーボードが少しでも使いやすくなってないかなぁ。

通知センターで使えるウィジェットもリジェクトしない方針にならないかなぁ。

バッテリーのモチは良くなるのかなぁ。

Safariのシェアメニューの並び順は固定出来るようになるんかなぁ。

何かイイことが起きることを期待しつつ、今回はお開きにしたいと思います。

ってなことで、今回はここまでっ!

(おわり)

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