キリ番ですな。
えーっと、今回は「普通」とか「当たり前」っていうことについて考えてみたいと思います。
ここでいう「普通」とか「当たり前」っていうのは、自分の身の回りのことや、これまで過ごしてきた環境や、いまの境遇などを総合して、「これが普通で当たり前の人生」と誰しもが考えている他愛もない日常みたいなニュアンスのことを指します。
こんな話は唐突かもしれませんが、とあるTwitterのフォロワーさんの何気ないTweetを拝見しましてね。
その時に、そういえばだいぶ前に「普通だったり当たり前でいることって意外と大変なんだよなぁ......」と考えていたことを思い出しまして、テーマとして取り上げてみようと思った次第です。
人によって「普通」の定義は異なる。これは当たり前。
何気に「普通」と言っても、金銭的な面や置かれた立場やその人の価値基準によって、個々の考えるレベル感は大きくはなくとも微妙には異なるはずだ。
とかく人は自分自身が特別な存在であるなどと考えることなく、今の置かれた状況が普通であり当たり前のものであると考えがちだ。
いや、そうでもないか?
自分はなんて恵まれない環境に身を置いているんだろうと、己の不遇を嘆く人も多いか。
その反対に、自分の運の強さに自惚れていたり、その強運がいつまで続くのか...と一抹の不安を覚えている人もいるかもしれない。
でも、それは少数派か?
まぁ、統計を取ったワケでもないし、概念的な小難しい話をしてもしょうがないのではあるが、一先ず比較対象が必要になると思うので、ボクが昔から考えている「普通で当たり前の生き方」ってのを基準にしてみよう。
ボクが若いころに思い描いていた「普通で当たり前の生き方」ってのは至って単純かつ平凡なものだ。
高校を平均的な成績でもいいからとりあえず卒業して、浪人してもしなくてもいいから大学生になって、勉強なんかはロクにしないけど面白おかしく青春を謳歌して、やがて就職活動をしてサラリーマンになる。
仕事は自分の思い通りにはなかなか事が進まないながらも少しずつ大人の社会ってヤツに馴染んで行って、そしてそれなりの年齢になったら結婚したりする。
カミさんは専業主婦で、子供は二人くらい作ってさ、仕事で嫌なことがあっても家庭には持ち込まずに、家族はいつも笑顔で仲良く暮らすんだ。
会社では同期に先んじもせず遅れもせずにそれなりに出世して、そうだなぁ、せいぜい課長くらいにはなりたいかな。上手くいけば部長くらいまでは手が届くかもしれない。
それで定年までキチンと勤めたら、あとは悠々自適の生活でさ。年金暮らしじゃそんなに贅沢はできないかもしれないけれど、子供たちも大きくなって家庭を持つようになって、たまには孫を連れて遊びに来てくれるといいんだけどなぁ。
で、平均寿命の辺りで人生を全うするんだな。なるべく苦しまない方がイイんだけどなぁ。痛いのも嫌だし、家族に迷惑がかかるだろうから、生きてるんだか死んでるんだか判らないチューブや管だらけで延命処置されたりするのだけは勘弁して欲しいな。
もちろん、ボケて徘徊したり暴れまわったりも嫌だし、「立つ鳥跡を濁さず」って感じで、子供や孫に見守られながら静かに幕引きしたいよな、うん......。
だいたいこれが、ボクが20歳の頃に思い描いていたごくごく普通で当たり前の生き方ってヤツだ。
当時は夢も希望もありゃしない、ツマらない人生という感じで思い描いていたものだ。
ところが、社会というものに触れ、実際に人生の折り返し地点を過ぎてみると、その「普通で当たり前の人生なんてツマらない」などという考えは明らかに驕りだということを思い知ることになる。
ここまで40数年間生きてきてみて、ボクの思い描いていた「普通で当たり前の生き方」はかなり高度な難易度であり、それを普通で当たり前と考えられること自体がかなり幸せなことなんじゃないかと思うようになってきている。
学生時代は勉強もろくすっぽせずにバンドなんかを演ったりもしたが、それを仕事として選ぶには技量も勇気も足りなかった。
ボクの父親がそうだったように、誰しもがスーツを纏ったサラリーマンとして通勤電車に揺られながら会社に通うもんだと思っていた。そんな風に平々凡々と暮らすのが「普通」だと思っていた。
決して華やかでも綺羅びやかでもなく、そんなごくごく「当たり前」の道を歩むんだろうと思っていた。
そんな「普通で当たり前の生き方」は平凡過ぎてツマらないし、むしろ恥ずかしいとも思っていた。
新しい世界に飛び出す勇気のない、意気地なしが歩む人生だと思っていた。
だが結局、そんな「普通で当たり前の人生」を歩むことを選び、これまでは順風満帆とは言い難いが、それでもボクなりに考えていた「普通で当たり前の人生」からは大きく外れることなく、まあまあ「普通のおっさん」になってるような気がする。
特別な才能に恵まれたワケでもないし、金持ちの御曹司でもない。抜きん出て学力があったワケでもなけりゃ、サラリーマンとしての適性があったのかも今となっては疑問だ。
だが、そんな「普通で当たり前の人生」を歩むことも、決して楽ではなく、決して平凡でもなく、決して恥ずかしいことではないということを知ることになる。
生きていくために誰もがいずれ働くことになるのだが、そこに至るまでの過程は様々であることを知り、そしてその後の生活も決して安定したものではなく、途中で挫折せざるを得ない状況に陥る者も少なくない。
高校を卒業できずにフリーターになったヤツもいた。
夢を捨てきれずに演劇の道に走ったヤツもいた。
子供たちに夢を与え続けたいと、サラリーマンをやめて学校に入り直し、特撮映画の制作会社に30過ぎで再就職した人もいた。
就職してサラリーマンになったが、親の家業を継ぐために辞めていった者もいた。
会社や仕事が辛くて、逃げるように辞めていった人もいた。
不幸にも心身を患い、長い休職期間の果てに辞めていった人もいた。
突然の事故で、人生を途中で終えざるをえない人もいた。
男を作って逃げ出す女房に怒り狂う人もいた。
逆に、女を作って女房子供を捨てて違う家庭を作る人もいた。
ボクからしてみれば、まるでドラマの中で繰り広げられる話のようだ。
そんな激動の人生を歩むことは、もちろん大変なことではあるんだが、ボクの考える「普通で当たり前の人生」を生きるってのも、意外と大変なことなんだなと、今はそう思っている。
波風が立たないのか、意図的に波風を立てないように生きているのか、そのどちらにしても「普通で当たり前の生き方」を生涯貫くことができるって人の方が稀なんじゃないか?とさえ思える。
あれだけいい加減に生きてきたのに、特に何の努力もせずに惰性で流されるように生きているのに、そんな「普通で当たり前の人生」を未だに歩み続けられているボク自身をなんて運の良い男なのだろうと今は思っている。
それは決して負け惜しみなんかじゃないし、驕り高ぶった考え方でもないと思うんだが、どうなんだろう?
特別な存在になることも困難だが、普通でいることもまた困難なことなんじゃないかな?
(おわり)
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