この世の中には、たいして役にも立たない箸にも棒にもかからないものってのが少なからず存在する。そんなもんは探さなくてもそこら中に落ちているはずだからすぐに見つけられるはずだ。
それらが本当の意味で自分の役に立つものなのかどうかを見極めるのは、もちろんご自身の判断で行っていただくしかないのだが、それにしても、それらの真贋を見極める術を持つ人が少ないと思うのはボクだけなんだろうか。
今回は、そんなボクが普段から疑問に思う現象について、とうとうと語ってみたいと思う。
心も身体も憔悴し疲弊しきった人たちが見境なく飛びつく、いわゆる自己啓発的な教養なりノウハウってヤツがある。
そういう類の書籍は書店でも平置きにされたりして結構いい位置を占めていたりもするから、そっち方面のニーズってのは未だにまだあって、結構売れていたりするんだろうなとは思う。同じようなタイトルの本が出ては消え出ては消えていく様を長い間見てきたから、歴史は繰り返されるではないけれど、そんなニーズがいつまでも消えないからこそ、その商売も成り立っているんだろう。似たようなセミナーや講習会なんてのも多いんじゃないかな。
いわゆる機器やソフトウェアの操作マニュアルってのとは違う。趣味趣向の世界のノウハウだとかスポーツ関係のテクニックを解説する本とか教室とも違う。それらはその世界の第一人者だったり専門家だったりが教えてくれていたりするから、ある程度の需要があって求められているのはまだ解るんだ。誰も知らない未知の世界を紐解く情報としては貴重だからね。
だが、ここで言ってるのは、そういう有用な情報とは違う。なんていうかな、もっと観念的で抽象的な、いわゆる「楽しく生きていくために必要な能力を身につけよう」とか「成功するためにはこうしよう」っていう感じの、なんか怪しげなジャンルの情報提供のことをここでは言っているんだ。
そんな怪しげな書籍が売れ、胡散臭いセミナーや講習会が活況を呈しているってことは、相変わらずこの世の中には努力らしい努力もせずに他人の成功体験を追随して我がものにせんとするだけで楽をしようとする連中で溢れかえっているってことなんだろう。
そして、そんな連中がいつまでたっても困窮しているだけあって、この世の中にはそんな箸にも棒にもかからない何の役にも立たない情報ってのが次から次へと手を替え品を替え大量生産されているんだろう。
そんな二極化現象がいつまで経っても治まるところを知らないということは、結局それらが役に立っているのかいないのか?よくわからん状況にあるんじゃないかな。
冷静になって考えてみると、そんなただ個人の成功体験だけを綴った書籍や自慢話を聴くだけの講習会なんて、「大枚をはたいてまで得る情報じゃない」と簡単に気づけるはずなんだよね。それらは沢山ある中のホンの一握りのお伽噺ってだけで、他にアプローチ方法なんていくらでもあるだろうに。
だって「生きて行く」ってことは本来、自らが実際に経験した事柄を糧として積み上げて行き、そこから何がしかを学習して先に備えておくべきものだから。誰しもがそうやってこれまで育ってきたはずなんだけどな。
そんな経験値や知識をチートみたいに一朝一夕で得ようとするところに、読む側(出る側)の浅はかな考えが如実に滲み出ているような気がするし、怪しげな連中がそこに上手い具合に付け込んでいるんだと思うだけどな。違うんかな?
そういう類のうまい話に共通する一番くだらない点は、「その方法なり手法が万人に共通し、必ず成功へと導く道標である」という幻想を用いて、薄っぺらい内容に華美な装飾を必要以上に施し、弱い立場である読者を騙くらかそうとしているところだ。
そう、ボクからしてみれば、虚飾にまみれているのだよ、あの類の世界なんてのは。※あくまでも個人的な感想です。
「この本を読んで収入がアップしました。」とか「このセミナーに参加して心が洗われました。」なんて話は宣伝文句としては目にするものの、自然発生的に口コミで利害関係のない者(教祖様を取り巻く連中は間接的に利益を享受する立場にある可能性が高いので除く)の口から聴くなんてことがあった試しがあるか?
少年ジャンプや少年マガジンや少年サンデーの裏表紙にある「このペンダントを着けれは貴方もモテモテ!」みたいな宣伝文句に騙されるのは、思春期真っ盛りのあの事しか考えてない猿のような中学生だけだと思うだろう?でも大人になっても他の口説き文句でコロっと利用され喰い物になってる可哀想な連中も多くないか?
「真似したけど成功しないじゃないか!」とか「いつまで経っても何にも変わりゃしない!」という憤りに満ち溢れているけれど、己の馬鹿さ加減を世間に曝け出すことにもなるから、密かに水面下で我慢して、さらに余計なストレスを溜め込んでいる輩も多いんじゃないだろうか。
いまさら「ちゃんと真面目にやってればよかった!」なんて嘆いたってもう遅いんだぜ、知ってたか?
そんな弱音を吐こうもんなら、その情報提供者である教祖様から更なる追い打ちを喰らうんだ。「お前の努力が足りない」だとか「そもそもアプローチが間違ってる」とか言われちまうに決まってるのさ。
ほらほら、よ〜く思い出してご覧よ。
いつか会社の上司や先輩、学校の先生に怒られた過去の苦い経験がリフレインするだけだろう。そんな風に怒られるのがイヤで本を買って読み漁ったっていうのに、また同じ過ちを繰り返してるよね。
二度となじられたくないから高い金を払ってセミナーに参加したっていうのに、またキミたちの一番嫌いな「努力」って言葉を出されるとツラいわな。その「努力」ってヤツをしたくなくて楽な道を選んだっていうのにね。
ホントお疲れ様でした。っていうかご愁傷様でした。
しかし、いったい何回同じ過ちを繰り返せば理解するんだろう?
怪しげな連中が主張する「この方法を用いれば誰しもが成功するのだ」などという夢の様な話が、この厳しい現実社会にあるはずもないことくらい、ホンの少し考えれば判るはずだろうに。
そもそも、その方法も画期的かつ抜本的な手法とは到底言うことが出来ない内容だって判りそうなもんなんだがね。
試しに購入する前に目次をパラパラとめくって眺めてご覧なさいよ。
目次に並ぶ文言を眺めつつ、気になったページをめくってみると「難しい単語を並べてそれらしい雰囲気を醸し出してはいるものの、よくよく考えてみたら言ってることは当たり前過ぎて極めてつまらないものだな。」と気付くだろう。普通の精神状態で眺めたら、あまりにも愚劣で凡庸な内容である場合が多いと気づかないのかな。
そんな食物連鎖的な構図はかなり前から完成しており、「自分はいつも利用される側にいて、いつまで経ってもそこから抜け出せないのはなぜなんだろう?」と疑問に思わないのかね。
自分も喰う側にいつかなれると思っているんだろうけど、そんな他人のばら撒いた餌にばかり喰らいついているようじゃ、まだまだお先真っ暗だね。
なぜ見ず知らずの得体も知れない者から提供される情報を鵜呑みにして、それを実践しようとするのか。
あまりよく考えもせずに最初から信頼しきっているから、後でフツフツと怒りが湧いてくるんじゃないのか。どうせまた上手く行かなかったんだろう?
あんなもんは最初から疑いの眼差しで穿った見方をしなきゃダメだって。誰にでも通用する画期的な方法なんてもんは、この世の中にありゃしないんだから。千円やそこらで買える本を読んだだけで、誰もが成功できるんだったら、みんな成功者になれるさ。
何を持ってして「成功した」と捉えるかは人それぞれだとは思うが、少なくとも成功したと自覚する人が本当に増え続けているのであれば、あんな本なんてこれほど溢れかえるはずもないだろ?
百歩譲って買うのはヨシとしよう。ただそこにあるのは数多ある方法論の一つだということを忘れちゃいけない。
ゴールに辿り着くための道はいくつもあるんだから、せめて方向があっているかどうか、残りの距離はどのくらいなのかを確認する程度の参考にとどめておくべきなんだろうな。
もしくは、「そんな方法もあるのか」と冷めた頭で咀嚼して、他のアプローチはないのか、セカンドオピニオンを求めるがごとく更なる情報を求めてみたらいいだろう。色んな情報を得てから自分に合う方法論ってのを確立させるために役立たせるというのなら、その行動にも一理ある、とオマケしてあげることにしよう。
ボクがもし社会に出たてのウブな男だったとしたら、ああいう連中の喰い物にされてしまうんだろうかね?どうなんだろう?
若い頃からそこまで世間知らずではなかったと思うし、夢や希望に満ち溢れていた覚えなんてのもないから、斜に構えてもっと冷めた目線で世間ってヤツを窺っていたような気もするんだがね。
情報が満ち溢れた世界だと言うのに、真贋の割合が変わってないから、見極めるのがますます難しくなってしまっているんだろうね。
だから、もっと早くに上手く立ち回るってことを覚えなきゃ。
無理のない程度で真似できる簡単な事から始めてさ、それで効果があるんだったら続けりゃイイし、ダメならサッサと切り捨てるくらいの割り切りが必要なんじゃないか。
ハナから全幅の信頼を寄せたりせずに、少し穿ったくらいの見方で十分なんだよ。
だから以前から言ってるだろ、『信じる者は足元を掬われる』ってさ。
......でもまぁ、騙されるならトコトン騙された方がイイかもしれないね。
こんなエントリーは読まない事を陰ながら祈っているよ。
「騙されてる」「利用されてる」と気づかない方が幸せって可能性もあるからね。
幸運を祈るよ。
(おわり)
0 件のコメント:
コメントを投稿