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2016年3月14日月曜日

1045:【四級審判員の憂鬱】子供が卒団式を迎えるにあたり、親としての心境なんぞを語ってみるっ!の巻

毎度どうも、さいたまの孤高のサラリーマン兼サッカー四級審判員こと、ひろ☆さの(@Hirosano)です。

3月も半ばを迎え、2015年度も残すところ半月ほどとなりました。

仕事の区切りがついたのかどうかはともかく(そんなんでイイのかは知らん)として、ウチの長男もそろそろ小学校を卒業すると同時に、お世話になったサッカー少年団を卒団することになっております。

彼がここ数年間サッカー少年団で過ごしてきた様子をずーっと身近で観てきたボクとしても、「もうそんな時期か」と感慨深いものがあります。

「気がつけばあっという間」というのが正直な感想。もっとこの時間を共有したかったというのが心の底からの本音です。

ですが、この節目は誰にでも訪れる瞬間。波のように押し寄せてくる寂しさはボクのような親側のみが感じるものであり、主役である子供たちは輝ける未来に大いなる希望を抱き、目をキラキラ輝かせながら新たなステージへと飛び立つ準備を着々と進めている様子も伺えます。

そんな彼らが中学生という新たなステージに飛び立つことを記念して、今回は長男がサッカー少年団に関わったここ数年間を振り返ることで、ボク自身の心にも一区切りつける一助にしてみたいと思います。


長男がサッカー少年団に入団した経緯

ボクは特に「子供にサッカーをやらせたい」と強く願っていた親ではありませんでした。ボク自身が元サッカー選手だったとか高校や中学のサッカー部出身とかではありませんでしたので。

長男が最初にスポーツと触れ合ったのは、最近の幼年期の習い事としては相変わらず根強い人気のスイミングでした。全身運動で身体の成長に良いという触れ込みのせいかも知れませんし、「せめて泳げるようになっといて欲しい」という親の想いがそうさせるのかも知れません。

御多分に洩れず、ウチの長男も幼稚園に通っている頃から近隣のスイミングスクールに通っておりました。通った数年間でクロール・背泳ぎ・平泳ぎくらいまでは泳げるようになったんじゃないかと思います。夏休みに近場の市民プールに遊びに行くと、その度に我が子の成長が手に取るように判りました。

そのスイミングスクールは母体がスポーツクラブで、マシントレーニング設備や屋内テニスコートなどもある大きな施設の中にありました。もちろん屋内の温水プール。

とある正月明けのことだったでしょうか、初心者向けの親子サッカーイベントが開催されるというチラシをそのスポーツクラブから貰いました。さいたま(浦和)出身の元Jリーガーである水沼貴史氏(当時は法政大サッカー部監督)が講師として招聘される『親子サッカー教室』ということだったので、ミーハーなボク自身が行きたかったのはもちろんのこと、子供に聞いてみたら「サッカー面白そう!行ってみたい!!」という流れになりましてね。良心的な参加料1,500円を払って親子揃って参加することに。

思い起こせば、これが長男とサッカーの最初の出会いでした。

それから彼はスイミングを辞め、同じスポーツクラブが運営するサッカースクールに通い始めることになります。

この時、ボクは大きな勘違いをしておりまして、そのサッカースクールに通っているといずれ大会とかに出られて、それを観戦に行ったりするんだろうと漠然と考えていました。ですが、その機会は一向に訪れることはありませんでした。だって、そこはサッカーの技術を教えるスクールであって、サッカー少年団とかクラブチームではないんですもの。楽しくみんなでサッカーできればヨシとする、そんなスクールだったのです。

今なら簡単に解ることですが、当時はそういう仕組み自体をキチンと理解してなかったのが少し悔やまれます。というのも、小学4年生になった長男がある日、ボクにこう打ち明けるんですもの。

安西先生、試合がしたいです。」
「お父さん、ボク試合がしたい。」

そりゃあそうだよな。せっかくサッカーを習ってるんだから、その実力を実践の場で試したくなるのは必然。お父さんもお前が試合で活躍するところを観たいもの。

そこで彼はボクを説得するために用意してきた話をし始めます。彼が通ってる小学校には土日に活動しているサッカー少年団があること、そこには同級生が何人か所属していること、そこに入ればいろんなチームと試合が出来ること、平日には別のサッカースクールでもっと高度な技術を学びたいということ...などなど。わずか9歳の彼は、真剣な眼差しでとつとつとボクに訴え掛けて来るのです。

彼の話を聞きながら、ボクは即座に「失敗したな」と思いました。それまでは土日の習い事などはありませんでしたから、家族でいろんなところへ出掛けて面白おかしく過ごしておりました。ボク自身はそれで満足してしたのですが、彼は違ったのです。もっとサッカーをしたかったのです。それに気づかなかったことが「ボクの大きな失敗」です。

もちろん、彼の希望を叶えてやる事が親の務め、二つ返事でOKを出し、その地元のサッカー少年団の練習を見学しに行くことにしました。

見学と同時に体験入団として練習にも参加出来るとのことなので、長男はヤル気満々でサッカーが出来るスタイル(それまで通っていたスクールのユニフォーム)での参加になります。

年に数回も来ることのない小学校の校庭で、子供たちが楽しそうに駆け回る様子は、さながら小学校の体育の授業のようでした。教えているのは学校の先生かと思っていたのですが、少年団に所属する子供たちのお父さんやそのOBが中心。その他にも、サポートとしてなのか、数人のお母さん方も校庭の隅から見守ってる光景を見て、ボクはちょっとした違和感を覚えたことを記憶しています。


サッカー少年団というもの

ボクの感じた「違和感」ってのは、普通の習い事とは異なるその雰囲気でした。ボクはこの目で見るまで気が付かなかったのですが、「サッカー少年団に入団する」ということは、ただ単に習い事を始めることとは大きく異なるということをこの時初めて知ったのです。

どういうことかと言うと、子供がスポーツ少年団に入る=親もその活動にある程度関与する必要が出てくる、ということなのだと理解したのです。長男が少年団への入団を希望した当初、カミさんがあまりイイ顔をしていなかったその理由を垣間見た気がしました。

ウチの少年団ではそんな事はありませんでしたが、他所のチームでは、試合遠征時の監督やコーチの食事は選手の家庭で持ち回りで弁当を作ってくるとか、普段の練習時にも、夏は冷たいドリンク、冬は暖かいホットコーヒーをお母さん方が校庭まで持参するとか、そんな義務を保護者に負わせている少年団もあると噂で聞いていたらしいのです。

ウチの少年団の監督やコーチは、当然ながら本物のボランティアです。自分ことは自分(もしくはその奥さん)がやりますし、着る物もシューズなどの用具類も全て自前。揃いのスタッフ用ポロシャツを着用してますが、料金は全額個人負担。もちろん、少年団の活動に関与したからといって給料や手当が出ることはありません。これって当たり前の話なんですけどね。

みなさん、好きで少年団に関わっているんです、仕事も家庭もあるのに。自分のお子さんがとっくに卒団してるのに指導者として残っているお父さんもいらっしゃいます。

そんな関わり方は、子供たちのご家庭の親御さんも一緒でした。練習の様子を見に来たついでにドリンクを子供たちにドリンクやアイスを差し入れするとか、お揃いのTシャツを作っていっぱしの応援団を結成するとか、子供たちがサッカーやるならお母さんもと、かなり年齢構成が高めのレディースチームを作って校庭の隅で練習したりとか。お父さん方もお母さん方も、子供たちと一緒にサッカーという競技を楽しんでいらっしゃいます。

もちろん、子供を預けっぱなし、練習はおろか試合の応援にも来ない親なんてのもザラにいるでしょう。それが許されるのは、他の親御さん方の献身的なサポートがあったればこそ、なんじゃないでしょうかね。

ボクは平日は会社に勤務するサラリーマンですが、土日祝日は比較的自由に休める恵まれた境遇にありました。普段の練習を見に行くことは稀でしたが、試合となると積極的に自家用車で子供たちを乗せて遠征に帯同するようになりました。以前にもここで書きましたが、休みの日に長男と過ごす時間が極端に減ったこともあり、寂しかったせいでもあるんでしょうがね。

試合のたびに顔を出しているうちに、チームのコーチや監督さんなど、スタッフの方々とも会話を交わすようになります。

そのうち、「ひろ☆さんも活動に参加してみたら?」とお誘いいただけるようになりましたが、当初は二の足を踏んでいました。平日は仕事で疲れているのに、せっかくの休みを潰すなんて真っ平御免だ、とも思っていました。

そのお誘いに応えるキッカケとなったのが、応援時の掛け声の掛け方を注意されたことだったのは、まるで昨日の出来事のように覚えています。

とある遠征試合の最中、チームのベンチ後ろで子供たちを応援していた時のことです。相手に攻め込まれて味方DFがボールを相手に取られそうな場面で、ボクは思わず「クリアー!クリアーしろっ!」って大声で叫んでしまったんです。これじゃあ応援じゃなくて指示ですよね。ホントに出過ぎた真似をしてしまったと今でも反省しています。

その直後、それまでただ黙って戦況を見守ってベンチに座っていた監督が振り向き、ボクはこっ酷く注意されてしまいました。

「いいか、ひろ☆さのさん。我々のチームは相手に攻め込まれているからってピッチ外にすぐにボールを蹴りだすような、そんな安直なサッカーはやらないんだよ。そういうピンチの場面ってのは、寧ろチャンスなんだよ。自分の持てる力や日頃鍛錬した技術を用いて如何にチャレンジできるか、子供たちが成長できるまたとない機会なんだよ。そんな場面を台無しにするような応援はいらない。そんなのは応援でもなんでもない。単なる邪魔な雑音なんだよ。」

かなりキツい言い方で注意を受けたからこそ、記憶に残っているんでしょう。チームとしての選手育成の方針になどそれまで触れたことがなかったもんですから、知らなかったと言えばそれまでなんです。が、サッカー少年団というものが、そういう人間教育の場でもあるのだと、初めて理解できた瞬間でもありました。また、そういう活動に対して興味を覚えた瞬間でもありました。

こうして、ボクもドップリとサッカー少年団の活動に関わるようになって行くことになります。長男が入団してから1年も経っていない、今から2年以上前の冬の出来事でした。


目指せ、父子鷹!

長男は長男で、どんどんサッカーにのめり込むようになります。カミさんの躾けが厳しかったから学校の成績が落ちるようなことはなかったみたいですが、勉強以外の時間は、それこそ全てをサッカーに捧げるようになります。

寝てもサッカー覚めてもサッカー。一旦のめり込むとそれしか見えないのは、父親譲りの性格なのでしょう(とボクの両親に言われました)。

JリーグやW杯の録画観戦はもちろん、iPad miniで見るのは海外サッカーの動画やクリロナやメッシなどのスーパープレー集。それまではコロコロコミックなどの漫画を読んでいたのに、サッカー関係の雑誌や書籍をせがむようになり、誕生日のプレゼントやクリスマスプレゼントには必ずサッカーシューズを欲しがるようになりました(練習量がハンパないからすぐにダメにするんです)。

5年生になってからは、親が起こさなくとも自分で目覚ましをセットして、早朝に起床するようになります。雨が降らない限り、怪我で医者に禁止されていない限りは、朝食も摂らずに朝練に出かけるようになりました。

そんな頑張る彼の姿を見て、ボクも一念発起。45歳の老体に鞭打って四級審判員としてサッカー少年団の活動を共にすることになります。

ボクがチームのお抱え審判としてチームに同行することが、彼にとって悪い影響を与えないかと当初は気にしておりました。が、所詮は11歳のまだまだ子供な彼です。口ではハッキリとは言いませんが、一緒に小学校の校庭まで練習に通い、試合の時には必ず審判として帯同する父親のことを決して悪くは思っていなかったと思います。

サッカーの知識量では勝る(サッカー観戦歴は長いから)ものの、技術的には彼には到底叶わないので、いっぱしのコーチを気取って口うるさくアドバイスすることもありませんでした。むしろ「お前は偉いな」とか「お前はスゲーな」とか褒めまくっていたので、それが功を奏したのかもしれませんけど。

ただ、長男も誰に似たのか意外と忘れっぽいタチなので、練習で監督やコーチに言われたこととか、試合の場面で失敗したことなどは、積極的に彼に思い出させて、この後どうすればイイのかを彼自身に考えさせるようにしていました。決してその失敗を責めるような言い方はしません。求められればアドバイスはしていましたが、それ以上のことは極力言及しないようにしていました。いつか自分自身で答えを出さなきゃならない時が来るはずですから。親離れ直前の英才教育とでも言ったらイイんでしょうかね(笑)。

まぁボク自身がそれどころではなかった、ということもあります。それまで漠然とサッカーの試合を観ていましたが、いざ審判をやるとなると、きちんとルールを勉強し直す必要があったことをはやくも実感しておりました。また、せっかく少年団に関わるのだからと、スポーツ少年団認定員の資格取得にチャレンジしたこともありました。なので、最初の頃は自分自身のことで精一杯。

これまでどれだけの試合の審判を務めたのかわかりませんが、最近になってようやく余裕を持って試合に臨めるようになってきたと感じているくらいです。最初の頃なんかは緊張しまくって、いっぱいいっぱいでしたよ。

それでも、親子で毎週末に同じことに一緒に取り組めることは、何物にも変えがたい、それはそれは貴重な時間でした。

彼は選手として、ボクは審判として、共に成長する機会を得て、同じ場面や同じ時間をたくさん共有できたこの数年間は、本当に充実した日々を過ごすことができました。

ボクが想像していた以上に、彼も頑張りました。まさか途中入団の長男がキャプテンを務めるなんて思ってもいませんでした。どちらかというと消極的な性格の彼ですから、自ら「キャプテンやりますっ!」と名乗り出ることはありませんでしたが、同級生や先輩・後輩など周囲からの推薦でキャプテンに推された時の、彼が嫌がる顔の裏で密かに喜んでいたことを知ってます。それを知っているのは、たぶんボクだけです。キャプテンになった彼にも、いっぱしの責任感みたいなものが芽生えたようで、この1年間はまずまずの役割を果たせたのではないかと思います。まだまだ遠慮しがちなところもあり、キャプテンとしては及第点ではありますが、今後の彼の人生にとって、貴重な体験ができた1年間であったことは間違いありません。

1人のサッカー選手としても彼は頑張りました。チームの中心選手として活躍し、市のトレセンメンバーにも選ばれました。各チーム選りすぐりの厚い選手層の中で切磋琢磨し、トレセンコーチに認められ、積極的に試合に使ってもらえるようにもなりました。彼よりも上手い同級生たちと試合をしている時の彼は、まさにワクワクしてるという感じでした。

そんな彼が「中学生になったらクラブチームに入りたい」と言い出すことはだいたい想像できていまいた。より厳しい環境の中で、さらなる高みを目指したいと、そう考えたのでしょう。中学の部活も捨てたもんじゃない(県大会の常連だったり、顧問の先生がJリーグの審判だったりする)し、通いやすい地元の強豪クラブチームのセレクションを受験してみてもイイんじゃないか?とアドバイスしてみたのですが、彼は彼なりに今後のサッカー人生を考えていたようでした。親の敷いたレールの上を走ることなく、彼は強豪よりも育成重視の、家からはちょっとだけ遠い別のクラブチームのセレクションを受けることを自らが決めていました。

もちろん、ボクが反対するばすがありません。彼が言い出したことですし、彼にもそれ相応の責任(途中で投げ出さないとか、勉強もちゃんとやるとか)を課すことを約束させ、そのクラブチームへの入団を承諾しました。

中学生になったら、部活であろうがクラブチームであろうが、もはや親の出る幕はありません。献身的にサポートできる機会も、これまでに比べたら激減するでしょう。肩の荷が降りると思う一方で、金さえ出していればイイ身分になってしまうのかと、少しだけ感傷的になったりもします。彼とサッカーを通じて接する機会が減ってしまうのも寂しい限りですが、親離れと同時に子離れするいい機会だと割り切るようにしています。

なので、ボクも陰から彼を支える決意で、審判以外の新しいことにチャレンジすることに決めたんです。


サッカー少年団での活動も、残すところあと僅かとなりました。

実際のところ、来週の3連休に招待試合のカップ戦が2日間あるだけで、その後に控える3月最終週は卒団式が執り行われるのみです。

彼と同じ時間を共有する機会も、これにて終了です......。

いや、ホントに「あっという間」でしたよ。本音を言うと、もっともっと一緒に楽しみたかった。ずーっと同じピッチの中から、彼が走る姿を目で追っていたかった。

でも残念ですが、これも彼の成長のためです。あえて一歩引いた立場から、今後も彼を応援し続けることにしたいと思います。

長男とボクが一緒にサッカー少年団で過ごした時間は終わってしまいますが、これからはお互いに別々の次のステージにて、同じサッカーに関わり合って行くことになります。その線は平行ではなく、どこがで交わる時も来るんじゃないかと、そう切に願っております。

きっと、思春期を迎える彼との会話も、だんだん少なくなっていくんでしょうね......。なんだか、ホントに寂しいわぁ〜!←親父の方が女々しい。こんなんで子離れできるんかいな?

ってなことで、今回はここまでっ!

(おわり)

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