共有

2013年11月11日月曜日

647:【for Blogger】ボクにとっての「良い記事が書けた」とする判断基準とは?の巻

毎度どうも、さいたまの孤高のωブロガーこと、ひろさの(@Hirosano)です。

とあるブロガーさんが突如投げかけた問いに、多くのブロガーさんたちが反応している様子をニマニマしながら眺めておりましたところ、ボクもそれについて語りたくなったので、書いてみることにしました。

このTweetに反応した方々のブログがこんな感じ。

白牙隊A2屯所: 「よい記事がかけた」とは何か?
最初に見かけたのはこちらのブログでした。

「よい記事が書けた」という感触について - ウラガミ
次に見つけたのがこのブログでした。

ブロガーにとっての「よい記事」とはどういう記事を言うのか? - あざなえるなわのごとし
そしてこちらの方も書いてます。

[箱] ”ブログのログ”だから書いた後に振り返って見る。そこから成長に挑戦できる記事を書きたい。 | [箱]ものくろぼっくす
そして最後はこちらのブログになります。

さすがに影響力の強いブロガーさんからの問いかけなので、あちらこちらから反応が返って来るようですが、面白いのはブログとして返事を書いている方はそれほど多くはないということ。

まぁなかなか深い質問で、一朝一夕で答えが出せるものでもないですし、そもそもブログのテーマに合わないから書きづらいってブロガーさんもいらっしゃるから......なのかな?

ここ『真☆煩悩の赴くままに』はボクのボクによるボクのためのボクが書くブログなので、ボクが書きたいと思ったからこの場で改めて考えを整理したいと思います。

さてさて、ボクの場合はどうなるでしょうか?



ボクは当初TwitterでこのPostをタイムリーに見たわけではない。


なんせTwitterのタイムラインはあっという間に過去のものとなってしまうからね。タイミングを逃すと絶対に見ることの出来ないTweetがゴマンとあるのは当然の話。


それじゃなんで知ったのか?というと、Facebookの方でも同じブロガーさんが同じ問いかけをしてらっしゃるのを見かけたから。


そこでの一次回答はこんは感じだった。

ボクも自己満足が基準ですね。読まれなくても自分で読み返して「これはいい記事だ!」と思えるものがあれば、ただそれだけでいいです。

自称「ブレない男」なもんだから当然の如く、問いかけの意図に対して、いつも通りの素っ頓狂な回答。まるで返答になってない何の参考にもならない回答となっている。


......ホント申し訳ない。


でも仕方がない。正直に、嘘偽りなく延髄反射でこの解を導き出してしまったんだから。


前回の考察でも書いたことの繰り返しになってしまいそうなのだが、

真☆煩悩の赴くままに: 646:【戯れ言】「なぜそんなに繋がろうとするのか?」と言われても、先生、ボクにも解りません!の巻
長い。いつにも増して長い。だけどボクは書いて満足。なんていい記事なんだろう!←自画自賛


ボクのブログに対するスタンスというのは、他のブロガーさんに比べてちょっと変わっていると思うので、どうしても正直に答えるとこんな素っ気ない感じになってしまうのよ。


まず最初の命題である『1つの記事についてどれだけ読まれたら「良い記事が書けた」と思うか?』については、ボクのFacebookでの回答は意識的ではないものの完全に無視である。


「どれだけ読まれるか?は、良い記事とする判断において果たして大事な要素なのだろうか?」というのが素直な疑問。


Page View(以下「PV」)が増えれば嬉しくて、減ると悲しい。それは解る(ボクの場合は違うが)。


その際の基準となるPV数はブロガーによって千差万別。普段から1,000PV/記事のブログは、次に書いた記事が10,000PVになれば嬉しいだろうし、100PVしか読まれなかったらひどく落ち込むのだろう。


ただ、そのPVという数値の上下により「良い記事が書けたかどうか」を判断するのか?というと、ちょっと違うような気がする。


まず簡単に違うと思う理由は、それぞれのブログにとっての平均的なPV数ってのがあるはずなので、具体的な数値で満足度を表し、それを相対的に比較することが無意味であるということ。


なので、「どのくらい読まれたら?」という問い自体がかなり難易度の高い質問となっている点に注意しなければいけない。


普段からあまり相手にされないブログ(例えばここ『真☆煩悩の赴くままに』とか)で具体的に100PVなどどいう数値で答えると、「そんなんで満足するなんて、随分と謙虚なんだな。」と要らぬブロガー像が出来上がる可能性が高い。まぁ、ボクは比較的謙虚で大人しい方だとは思うので、あながち間違っちゃいないとは思うんだが。


また、ブロガーの満足度をPV数を基準に評価する数値経営的な考え方に対する嫌悪感みたいなものも感じている。


それが古(いにしえ)の頃からの絶対的な評価基準であるとするのならば、それに抵抗を示したところで、風車に立ち向かうドン・キホーテよろしく、ただ単にアホな行動としか取られないと思うのだが、そんなことはないよな?


これが書籍やメルマガなどの有料サービスならば、発行部数などの客観的数値が評価基準になるのだろうが、ここは無料で誰でも読もうと思えば読めるブログである。


いつもよりも多く読まれたとか、思いの外あまり読まれなかったとか、ブログの評価をPV数に委ねるということは、著者以外の何者かに判断を委ねた客観的な数値に過ぎないのは同じなのだが、ブログの場合は必ずしも内容にPV数が伴うとも限らないのだから難しいのだ。なので、内容の正確性や信憑性などには左右されずに乱高下する数値=PV数が、「良い記事か否か」を判断する基準にはなりえないと思う(ボクの場合は)。


もちろん、読まれることにより付随してくるなにがしか(アフェリエイトの報酬など)の向上、もしくはPV数そのものを上げることをブログを主宰する最大の目的としているのであるとすれば、その出来上がりの数値をもって判断することも可能ではあるが、命題にある『良い記事』の意味するところにこだわると、それだけがブログを書く理由になるとは思えないんだな、これが(しつこいけど、ボクの場合はね)。


いやいや金ではないぞと、己の考えや主張を世間に訴え広く知らしめたいという動機がブログの原動力になる場合もあるだろう。


その場合の『良い記事』ってのは、やはりPV数や検索流入の件数とか、広く拡散することでその記事の価値が高まり、ブロガーにとっての目的達成に大きく寄与したことになるんだろうな、たぶん。


世間に認められたということで、自分の生み出した作品であるエントリーを『良い記事』とするのであろうが、それじゃあ認められなかったらそれは『悪い記事』なのだろうか?


せっかく一生懸命考えて推敲しながら書いたのに、その後も校正であーでもないこーでもないと試行錯誤して、ようやく世間様にお披露目する機会を得た記事なのに、誰ともわからん馬の骨や豚の尻尾に読まれなかっただけで、貴方は自分の作品の評価を貶めるのかね?


そこまで世間に迎合する必要や意味があるのかね?


いや、いいんだよ。『良い記事』が言うところが「(金を)稼げる記事」という意味でも。それを否定するつもりはない。


じゃんじゃん稼いで脱社畜でもノマドにでもプロブロガーにでもなっていただきたい。そんなになりたいのであれば。



ということで、問いかけに対する回答は自ずと「数じゃないなら、その基準を教えて!」という方に偏ることになる。


前回からの繰り返しになるが、ボクの場合の『良い記事か否か』の評価基準は、まずは自分自身。


書きたいと思ったテーマに関して、思った通りの事を書くことができる場合もあれば、書き連ねて行くうちに結論が思わぬ方向へと展開して予期せぬ結論に至ったとしても、最後に読み返してみて成立した論理であるのならば、それはそれであり。


特に最近の【戯れ言】シリーズでは、誰に咎められるでもなく、好きな事を好きなだけ書き殴らせていただいているので、書き終えた時点でかなり満足している。


興奮覚めやらぬうちに校正をするのだが、一通り読み返し微調整を加えたことにより、よりブラッシュアップされると、またその時点で自己満足に浸ることになる。


この公開前の段階においてボクの中の評価が決まることになるのだが、たいていの場合はここで『良い記事か否か』はほぼ決定している。例え自己採点であったとしてもだ。


もちろん毎回毎回100点満点を取れるような記事を書けるワケではないので、これは手抜きとか、これは惰性で書いたとか、これは時間がなかったからやっつけ仕事とか、そんな時もザラにある。っていうか結構多い。


その中でも、「こいつは気合い入れて書いた」ってのもあって、そういう記事は書き終えた時点で『良い記事』になることが運命づけられている。あくまでも自己評価だから言えることであって、ボクの『良い記事』が読者にとっての『良い記事』とは限らないんだけどね。


書いた時の興奮や余韻が消え去った後、すでに公開されている記事を改めて読み直して、ほんの少しばかりの誤字脱字(ホント?)なんぞを修正しつつも、その際にも再び同じ感慨に耽られるのであれば、かなりの確率で『とても良い記事』へと昇格する。


また、自分の考えを自分なりにわかり易く整理しつつ、どれも万人に通用するように書いた記事であるはずなので、たとえたった一人であったとしても、どなたかのお役に立てた(何らかの反応があった)なら、それは『かなり良い記事』ということになる。


なお、そこかしこに意図的に散りばめた笑いのポイント(ブラックジョークを含む)で、誰かに「ニヤッ」とか「クスクス」って笑ってもらえたとしたならば、そいつは『とてつもなく良い記事』になるのかもしれない。


要するに、公開する前の段階において、ブロガーであるボクにとっての『良い記事か否か』の評価はすでにほぼ決定しており、公開した後はその評価が上がる一方のシステムになっているということであり、このような思い上がりの自己満足で完結する方式を採用すると、ブロガーとして非常にタフでいられるというライフハックでもあるのだ。


他者からの評価なんて、良いものも悪いものも全てスルーだ。慢心することも落ち込むこともないのだから、ただひたすらストイックに努力を重ね、まずは自分自身を納得させるだけの文章を書けるようにならにゃ、とてもじゃないが世間様にお披露目する気になんかなれないと思うんだが、その辺り他のブロガーさんたちはどうなんだろうか?


自分の書き紡ぐ文章が真っ当で内容的にも他人様に見せるに値するものだと常に思っているのだろうか?



こんなブロガーは哀れか?


まぁ、そう思うブロガー諸氏もいることだろう。


だが、PVが増えたとか、はてぶが多くついたとか、Yahoo!砲やGunosy砲やらを意図的に狙って努力することを第一義的に基準とすることの方が虚しいと思うんだけどな。


んっ?!


ひょっとして、他のブロガーさんたちは常に自己評価で満足するものしか世にも送り出してないのか?


だとしたらスゲーな。よく毎日何回も更新できるよな。実に羨ましい。


......はい、これら全ては負け惜しみです。


ってなことで、今回はここまでっ!


(おわり)

0 件のコメント:

コメントを投稿