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2013年10月7日月曜日

624:【考察】書評について考える!の巻

実は今朝まで「今日更新する原稿はこれ」と決めていたエントリーがあるのだが、たまには直近で読んだブログのリアクションみたいなものも書いてみたくなった ので、今回は「書評」について考察することにしてみる。

本当は、Gadget関連や食レポ関係の未だ陽の目を見ない原稿が山のようにストックされているのだが(ホントは少しだけ)、以前から「書評」については考えていたこともあり、いつかはここで物申したいと思っていたので、この際だからこのビッグウェーブ(?)に乗ってみようかと。

本日拝見したブログはこちら(複数)。

どうすれば面白い書評が書けるか考えてみる - ウラガミ
前半部分は大いに同意。後半部分は少々違和感。理由は後述。

「書評」の事を考えたら浜村淳のすごさに改めて気づいた - あざなえるなわのごとし
書評とは関係ないけど、関西に生まれたかったと思ったことが何度かある。

書評とは : メカAG
そういう書評なら書きたいけど、書けない。理由は後述。

なぜか今日は書評に関するエントリーが多い。原因は不明。

でもいい。「この際だからやってみよーっ!」ってなもんである。

これらのブログを拝見した上で、「書評」について語ろうというのが今回の企画(というか魂胆)。

こういうのも「ブログ書評みたいなもんか?」と思わなくもないが、今回はこれらのブログの内容に言及するものではなく、あくまでも尻馬に乗っかって「書評」という同じテーマについて語るというもの。

よってサーフィン的(ビッグウェーブに乗っかるの意)なリアクション芸に他ならない。

それ以上の意図はないので、その点は誤解なきよう。

特に上記のブログ主の方々、こちらに戦意は微塵もございませんので。←小心者故。


これまでこのブログで書評めいたものを書いた記憶がない。

全然本を読まないかというとそんなこともないが、最近ではドラマ『半沢直樹』の原作本と......あとはマンガ?を読んだくらいで、そもそも書評を書ける状態ではないことは確か。

だが、ボク自身が「書評」ってものに嫌悪感を抱いているのも紛れもない事実。

「ブログで何かを評価する」ってこと自体「何様なの?」と思わなくもないし、「その評価ってどれほどの信憑性があるの?」って読者が思うだろうと考えると 一向に筆が進まなくなる。そんなことない?

そもそも、実際に買ったモノの使用感とか食べたモノの感想とかは、ブログに文章で表現することに限界があるのは事実。例え写真を貼ったとしても、アフェリエイトのリンクを貼ったとしても、実体験に勝るものなし。

逆に言うと(この言い方は好きじゃない)、実際にそのモノを手に取らないと解らない満足感だとか、実際にそれを食べてみないと得られない幸福感など、最終的な判断は個々人で異なる嗜好に委ねることができるので、ブログで何かを評するのってなんてご気楽な家業なんだ!ということにも繋がる。

なんたって、ブログでいくら好きなことを書いても「それはボク個人が感じたことであって、あなたが同じように感じるとは限らない」という言い訳を前提とした個人的な感想という避難地帯に逃げ込むことを可能としているからね。

「いやぁ〜、ボクは面白い(美味しい)と思ったんだけどねぇ?」という言い訳が用意されていたとしてもおかしくはないってこと。

非常に無責任な内容であることこの上ない。

それは解っている。

だからボクは、モノに対する個人的な感想は述べるものの、力強くお勧めするような文章は書いてはいないはず(たぶん)。

ボクが感じたこと、思ったことなどを自虐的な笑いを交えてお送りしているだけだと思っている。

これはアプリにしてもそう。ボクが使って「こいつは便利だ」と思ったものしか書いてないはずで、使えばイイけど使わなくてもボクは何にも困らない的な態度を貫いてきた......はずなんだけどな、たぶん。


先に書いた「ブロガーの質が問われている?」という回でも書いた通り、この手の何かを評価・評論するっていうエントリーには一定の胡散臭さを感じて斜に構えて読んだ方がイイように思うんだが、それってのはそうとう捻くれてる見方なんだろうかね?

真☆煩悩の赴くままに: 621:【戯れ言】ブロガーとしての質が問われている?の巻
たぶんここに書かれていると思うんだけど。

ボクだったら、例え知り合いの書いた本や作ったラーメンでも、自分に身近な人の紹介をしてるんだという雰囲気は極力排除して、客観的に書くと思うんだよね。

「その方がどうなの?」というあざとさを感じずにはいられないと思うんだけど、そういう批評の方が信頼性が高くなると思わないのかなぁ。

知り合いを紹介するのって、本来的にそれがお勧めなのか単なる太鼓持ちなのかの境界線が曖昧になることに直結してるって読者が感じてることに気づいてないんだろうか?

「ボク(ワタシ)ってこの人と知り合いなんだぜっ!」という自慢?なんだろうか?

「だからなに?」と思う読者も多いことだろうに。

その中でも、特に胡散臭さを感じてしまうのが「書評」っていうジャンルのブログエントリー。

「○○さんに献本いただきました」とか書いてあると、たぶんそれ以上読まないし、「知り合いの○○さんが出したこの本......」とか書いてあると、RSSフィードの購読をリジェクトしたくなる。

特にプロのブロガーが超の付く有名人の書いた本をベタ褒めしてるのを見ると、なんか胡散臭さを通り越して、裏で繋がってんだかこれから繋がりたいんだか、浅はかな意図みたいなものを感じずにはいられない。

「そこに真実はあるのかい?」と思ってしまうんだけど、そんな気持ちをお解りいただけるだろうか?

まだ自分の出した本を自分で褒め称える宣伝と判り切ったご本人のブログの方が潔い。己の創作物に余程の自信がないと書けないだろうし、自画自賛であったとしても、それが売上に直接どのように影響を及ぼすかわからない一種のカケみたいなものだから、その心意気にこちらもカケてみたくなる。

人間なんて、そんなもんなんだと思わないかい?


かつて、まだボクが純真無垢だった頃(あったのか?)、その手の書評ブログを読んで、実際に本屋に足を運んだことが何度もある。どちらかと言うと、ライフハックとか自己啓発方面のいわゆるノウハウ本ってジャンルの話だ。

本屋にワザワザ出向いたのだから、その書評にはきっとイイ事がたくさん書いてあったに違いない。

だが、いくら清廉潔白な頃のボクであったとしても、そうそう本を山ほど買う金があるワケでもないし、そんなに読書に没頭するほどヒマではなかったので、いざその書評されてる本を手に取ってみても、すぐにはレジに向かわない。疑心暗鬼になっているワケではないが、一応確認作業をしようってなワケだ。

おもむろにその本を手に取り、帯に書かれた誇大広告を眺め、目次をパラパラと斜め読みする。

するとどうだろう、すでにその本を買う気が失せているから不思議だ。

心変わりの原因は、その書評に書かれているポイントがあまりにも的確だったために、本に書かれているほとんどが既知の情報になってしまっていることと、そこから類推した細かい内容をボクが想像してしまったことによるものだ。

こうして、赤の他人が書いた書評によって購買者が一人減ることになるのだが、それってその本の著者が最も望んでいないことなのじゃないだろうか?

小説だってそうだ。誰かが書評を書くことによりそのドラマの大半が白日の下に晒されてしまう、なーんて事故に繋がることにならないだろうか。

文庫本の巻末にある「あとがき」を読めばだいたいのあらすじを把握できるために、その本を読まずして読書感想文を適当に書いた若かりし日の自分を思い出しはしないだろうか?

物語の本筋に触れずして、その本の書評を書く自信がないし、かといってコピペだらけの15分で書ける薄っぺらいエントリー記事を書く気もない。

だからボクは、これからも書評は書かない、と思う。

←ひょっとしたら前振りかもよ?

(おわり)

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